tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

いよいよ11月も終わり「庭の晩秋」は、まだ盛り。

2011年11月30日 | がーディニング・園芸
今年はこんなものかと思っていた、庭の花卉たち、
やはり気候のせいでした。
ここ幾日かの朝の冷え込みは、一気に色づかせたようです。

この時期「山が焼ける」という比喩を使われる記事がありますが、
こんな庭(海抜129.4m)の花卉たちも結構「焼けています」。

一番は「どうだんつつじ」





「夏椿(沙羅の木」




もみじ」



鉢の「南天の幼木」葉を落とした実生から15年「銀杏」





そして、子孫残しの仕事を終えた秋の虫も・・・。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山野草」は元気・元気、そして「やぶこうじ」

2011年11月29日 | がーディニング・園芸
日増しに寒さが募ります。
未だ庭では初氷は見ませんが、それでも寒い。
お天気の日は、
菊など花壇や周辺の終わりかけた花たちを
撤去にかかっています。
特に菊はものすごい量になり、最近購入した「押し切り機」で
花茎とも10cmに裁断して、掘った穴で堆肥様のものにして始末しています。

寒くても強い花「山野草」、
これは名も知らぬものです、




そして「庭菖蒲」とぃって居ました間違いでした、本当の名前わかりません、スミレの仲間ようですが、葉の形がちがいますね。
「アカネスミレ」かな、花は元気です。



また2種類の「やぶこうじ」今年は実の付きが少ないです、
葉の色が違う2種類。これは冬の花です。














「チェッカーべリー」は
似ていますが、洋花です。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の「白山神社平泉寺」

2011年11月28日 | 福井のPR大使?
勝山のいまどきの名所は「県立恐竜博物館」ですが、
当地一番はやはり「平泉寺」です。

明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈により、
神社なのに通称「平泉寺」です。

飾り気が無くたいした建物があるわけではありませんが
そのたたずまい、
京都の苔寺の数倍はある「苔(種類も約200種ある)」と「大杉」。

知る人ぞ知る、隠れた名所でしょう、参詣する人もぼつぼつ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B3%89%E5%AF%BA%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
創建は養老元年(717年)、古代から中世後期、白山信仰の拠点として一大宗教都市。
最盛期には、48社・36堂・6000坊院そして、寺領地9万石・9万貫であった、
この規模は現在の勝山市の3倍もの区域。
この中に3000人もの僧兵がいて、比叡山の僧兵と戦いを続けていたものです。
1574年、この地に多かった一向宗の一揆に破れ、全山焼滅。

*参道入り口の「菩提林



*今「日本の道百選」の石畳道、昔のままの石仏が並ぶ旧参道









*「自然の苔」と木漏れび奥の「拝殿」









*全山消失の「残りの大杉



*菩提林からの加越国境の冠雪。




社務所には、荘厳な建物と枯山水の庭園、
大きな沙羅の木が毎年(7月)花を咲かせます。
一の鳥居までの参道の両端には
10mを越える沙羅の木が並んでいるのも珍しいのでは。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷え込むと「葉牡丹」も鮮やか。

2011年11月27日 | がーディニング・園芸
一度upしたことがありますが、
一年越し(枯れずに2年目)の「葉牡丹」です。

夏が終わり冷えがきつくなると、
亦、鮮やか。
こんな花は1年草と思っていましたが
育て方によって幾年も枯れないの?・・・。
やしの木みたいな変な造形、茎丈50cm、
これも亦、面白い。







こちらは、この夏、種から播いたものです、
鉢に分けると
大きくなりそうですが、
みだれ仕立て」とか。



そして川の護岸に居ついた野生「源平菊」の一株。
雨上がりで綺麗になりました、
大方はもう枯れているのにこれだけ元気。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国史跡、平泉寺「坊院跡発掘現場」披露

2011年11月26日 | 福井のPR大使?
平泉寺」は、717年泰澄大師により開かれた寺院で
比叡山と勢力を争う大宗教都市となり、
その数、僧院6000坊といわれる大規模なものでした。







1574年越前一向一揆で破れ全山消失、
その後の時間経過で50cmから深い場所では2.5m
もの土の下に埋もれていました。







市では、1989年(平成元年)から、この史跡を発掘調査。
今日以降も続きますが、今年の掘削も終わり、
関係者に披露されたものです。

ここ22年分の発掘の広さもさることながら、
今年の新しい発掘現場は生々しく、
大変な事業を思い知りました。
平泉寺に勤める?高僧などの住まい跡が即座にわかる
発掘の復元など、期待されます。













世界遺産指定などを、もくろむ白山」その中心になりそうな
場所の発掘。
本日午後から学者・歴史家など集まる「白山フォーラム」に先立ち
お見せいただいたもの。



最後に、この史跡のすごさは、山中に関わらず、区域の全部の道は、
丸い形状の川石が敷設されていることです。写真でも確認いただけます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする