tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

12月の早朝坐禅会は自宅にて。

2024年12月16日 | 坐禅会
はじめて罹患した「新型コロナ」、
一日目の止まらない咳、そして続く高熱、今迄七回も予防注射は
済ませているのに・・・・・、それでも二週間は過ぎ、
どうやら元の身体に戻ったようです。
12月のすべての行事を不参加・放棄は正しい判断で有ったと
思っています。(遠方の子供家族や妻に感謝)

第3日曜日は「早朝坐禅会の日」、12月から参禅者の体力配慮しての
冬休みに入りました。
一年間の慣例として、私は自宅の書斎にて「一人座り」、
師家の老師がいらして「仲間がいての坐禅会」、
一人では1炷40分の半分はおろか15分でギブアップ、
修業が足らないのでしょう。
正式の「座部(ザブ)」をもっていないので、
座布団を4つ折りにしてではお尻が定まらない。
姿勢が正しくないことになります。
一人で座ると短い時間しか座れない事を言い訳にしておこう。

それでも、雰囲気だけはと山田老師の「恁麼の七事」額と、


余宗ではありますが臨済宗妙心寺管長山川宗玄老師の色紙。

一応の雰囲気の中。

11月座中の老師のお話は報告しましたが、概要だけでした。
今日は時間もあり11月の報告の補完とお考え下さい。

禅堂に入る前に皆さんは両手を合わせます。
その意味はそれぞれ異なると思いますが、
「三界の萬霊」すべての霊に手を合わせてくださっているのでしょう。
今ここにいる皆様は、過去世からの命のつながり、
そのことを無意識の中で静かに味わい返す時間です。
欲望のまま動こうとする己という人間は何者か、
「坐禅して、自分というものを振り返りましょう」と
呼びかけくださった釈迦牟尼菩薩様。
「坐禅という形」により、己を振り返るきっかけ。

仏教的には、五欲におぼれていく弱い自分を振り返る時間、
その世界を初めて悟られ伝えられた釈迦牟尼菩薩、
五欲まみれの自分から逃れられない人もいるはず、そこから離れさせてくれる力そんな喜びの時間を生きている。
今、現世中で味わい喜びにしてほしい。それが仏の世界かも知れません。
お釈迦様の呼びかけのなかで、坐禅を体験しているのです。
そのような世界感を持ち毎日を生きてください。
と、老師はまとめられた。

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今冬最後の「早朝坐禅会」に参加

2024年11月17日 | 坐禅会
この月の早朝、禅堂に到着時にはまだ夜は明けていない。



今朝は私が一番乗り、
すでに老師とご住職氏が着座、堂内はこうこうと明るい、
珍しく温かく、扉か90cmほど開けたまま、
それでも寒くない不思議な朝でした。
静寂の中、野鳥の鳴き声が時に有るだけ、
ストーブの風の音もなく、静かに座れた朝でした。

参禅者が着座すると「小鐘3つ」、
同時に6時の梵鐘の音、ゴ~ン。いい雰囲気です。

暫くして、老師の坐中のお話が始まった。
2024年もあと残す日々僅かになりました。
今日までの各自の営みの生活が、
明日以降の生活に寄与できるようお願いしたい。
 各自の生活の理解を超える大きな世の中の営み、例えば太陽に手をあわせる事等、
私たちは、すべての物と一緒に生きていることを感じるはず。
己という小さな動きが、
人類を救うような大きな力になることを祈るばかりです、
「命」生きるとは、呼吸をする事、この命は遠い未来につながる呼吸のはず、
一日に一度は、命に対する意識をしてください(帰命礼阿弥陀仏など)
そんなことに触れながら未来への平和を目的に祈りたいものです。
こんな事を思う姿が坐禅です。
と結ばれました。
 そして全員で回向、
「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と。
 今年最期の坐禅会となり、
2月迄休み、3月から再開の指示でした。
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10月「早朝坐禅会」に参加。

2024年10月20日 | 坐禅会
起床の午前5時、外は真っ暗。
市内に「熊の出現」情報があり、
今朝も禅堂迄は自家用車で。

禅堂では、
すでに老師と住職が座られ、沢山の参禅者も着座、
私が座る頃「6時の梵鐘の音」、今朝は、坊守様が当番なのでしょう。

ゴ~ン・ゴ~ンの3つの音の後、
「小鐘3つ」の合図、正式の坐禅会の始まりです。

そして老師のお話しが始まる。
今朝は「いつもと違う初めてのお話しをします?」から始まった。
「参禅の皆様は、禅堂に入る前から、お寺の設えに対して合掌をして
くださっているが、どういう気持ちと心での合掌でしょうか、

私たちは今、人間という形で身と心を頂いていますが、
いつの過去世からこの命が繋がっいるかは分からない、
直前では、それぞれの先祖様から頂いた身があります、それが今です。
「合掌」で拝まれるのは、仏像や御仏の姿でしょう。
いま座って仏様の真似事をさせていただくのは、
此処迄の命の旅路のお礼として、
手を合わせていることになります。
長い命のつながりの不思議さ・ありがたさ、
その一瞬に手を合わせているのです。
こうした姿、「坐禅」は、命の営みとしての姿です。
皆さまは、こんな機会を持ち、これからの人生をどのように進んでいくかは、
それぞれ思いの中に有るはずです。

坐禅の心は、全世界の人々ももっている事を感じてほしい。

坐禅をすることは、道元禅師様の悟られた世界です。
「おお三昧・おお三昧」と命の輝きの姿、こんな坐禅の心を味わってほしい。
と、老師は結ばれました。
そして小鐘1つで終了。
 全員で「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と、回向。
座後のお茶会はで、
11月は実施、12月から2月迄はお休みが決まりました
今朝は住職氏から内裏の説明を頂きました、初の体験。





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「8月早朝坐禅会」に参加。

2024年08月18日 | 坐禅会
毎月の恒例行事。
曇天ですが、お天気も良く・・・
 それでも早朝から25℃以上の暑さ、今日も猛暑日になりそうです。

おやっ?スタート8分前に禅堂に到着、
靴下を取り眼鏡をはずして着座、
堂内では、老師とご住職のみ座られている。
一番乗り、そんなに早くないのにとの思い。
お盆休みかなと・・・ 。
そのうち到着、遅れた人入れて6名の参禅者。

静寂の禅堂では扇風機が3台も動いている、
この暑さへの配慮か。
6時の梵鐘は、力強く感じましたが、住職夫人(坊守)が当番なのか。
5分ぼどしてようやく小鐘3つ、正式のスタートです。

沈黙の時間、なぜか蝉の声も少ない朝、
扇風機の時たま来る涼し気な風、
坐中の老師のお話しは一切ない今朝の坐禅会でした。

小鐘1つで終了。(珍しく早い終了
そして「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、
 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と、回向唱えられた。

茶菓を頂いての座後の茶話会は、老師・坊守氏、住職氏を
交えての比較的長いひと時でした。
義宣寺境内の「さるすべり」は美しい。




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6月「早朝坐禅会」に参加、普勧坐禅儀。

2024年06月17日 | 坐禅会

今朝の早朝はすがしい朝でした。

昨日のバス旅の疲れもありましたが、休まず参禅。

スタートの午前6時は、坊守様のお撞になる梵鐘の音、

同時に老師の「小鐘3つ」、今朝は住職様もすでに着座、

ほとんどの仲間も出席され、雰囲気上々。

かすかに聞こえる梵鐘の合間の「般若心経の読経」。

後は、野鳥のさえすり以外は音は無く静寂の世界、良いスタートでした。

いつも始まる「老師の坐中のお話」。

曹洞宗開祖、道元禅師が中国から帰国され、

最初に作られた書が「普勧坐禅儀(ふかんざせんぎ)」です。

始まりの文言は「原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。」とあります。

道元禅師様は、禅の説き方として、「人間の真理はその命の営みを、非の打ち所のない真理で出来上がっている」ものとされた。

いろいろな悩みや考えは個々人に有るものですが、

すべての理屈を抜きにして 「ただただ座りなさい」、

お釈迦様が心理を得られたように、

幾度も坐禅を繰り返すことにより誰にでも、

それが見つかることが有るものです。

一度座れば1仏と解説する人もいますが、

一度ではダメ、幾度も繰り返し学び座りましょう。

そんな基本的な学びの後に、

坐禅の3つの基本、「整心・整息・整身」の具体手法が示された。

 

「坐禅を実行している私たちは、座って得た道元禅師様や遠くは

お釈迦様の教えで得た知識・知恵等繰り返し学んだことを、

これからの歩みの中に実践出来る事を目標にしてくださ。

と結ばれた。

最後にいま一度

「原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん」。

参考に「普勧め坐禅儀」原文

「原夫道本圓通、爭假修證。宗乘自在、何費功夫。況乎全體逈出塵埃兮、孰信拂拭之手段。大都不離當處兮、豈用修行之脚頭者乎。然而毫釐有差天地懸隔、違順纔起紛然失心。直饒誇會豐悟兮、獲瞥地之智通、得道明心兮、擧衝天之志氣、雖逍遙於入頭之邊量、幾虧闕於出身之活路。矧彼祇薗之爲生知兮、端坐六年之蹤跡可見。少林之傳心印兮、面壁九歳之聲名尚聞。古聖既然、今人盍辦。所以須休尋言逐語之解行、須學囘光返照之退歩。つづく・・・・」

夏ツバキ

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