日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

河口で

2009年03月08日 | 生活・ニュース
               

定年まで勤めた工場のそばを1級河川が流れている。流域住民の生活を支え工業用水として地域の繁栄に寄与し、これからも流れ続く。

ひさしぶりにその川の畔を歩いた。引き潮で川幅の半分ほどは川底が表れている。以前にも見慣れた風景が広がっており懐かしい。いつ完成したのか川底から少し高いところに素晴らしい遊歩道が出来ていた。そこにはウオーキングを楽しむ幾組かの姿がありのどかなローカル風景だった。

流れてきた水はここで長い旅が終りゴールになる。そして少ししょっぱいが広く際限のない世界へのスタートになる、数百㍍先の河口の方を眺めていてふとそんなことを思いついた。

岩に砕けたり深い淵をさ迷いながら仲間を増やしようやくたどり着いた河口という名のゴール、その先はうねりや渦巻きが待っている未知へのスタートになる。

学業を終て社会に出る、勤めを終えて定年になる。その区切り区切りはいつもゴールでありスタートでもあったのだ。思い様だが、この背中合わせのふたつがその時々に自分を育ててくれる機会だったのかも知れない。

雛流しに夢を託すひと、貝堀を楽しむひと、鮎つりを楽しむひと、泳いだり花火を待っているひと、渡り鳥が羽を休める姿にカメラを向けるひと、一人ひとりの思い出に古里の川はいつもいつまでも生きている。

美空ひばりの歌う「川の流れのように」の初め「知らず知らず歩いて来た 細く長いこの道 振り返ればはるか遠く 故郷が見える」というこの意味が歳と共により深く感じるようになった、この歌を聴きながら思ったのはつい最近だった。

これまでと同じようにこれからも川の流れは人に恵みを与えてくれる。でもひとたび流れ過ぎたら求めても帰ってくることはない。有意義な毎日を過ごしていこう、そんな他愛無いことを思いながら遊歩道を歩いていた。

(写真:見慣れたはずの河口風景も時が経つと少し新鮮に映る)
コメント (6)
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