日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

子育て

2013年06月02日 | 社会 政治
            

 地上から数メートルにあるツバメの巣。そこから乗りだして鳴く子どもらに「落ちるなよ」という願い。そんな子どもの大きく開けた口に餌を運ぶ親ツバメ、その餌は必ず生きているというという文章を読んだ。おおよその内容はこうだった。羽のある虫を運んできた親ツバメ、巣の直前でせっかく捕えた虫を地面に落とした。もう一度くわえなおして地面に落とす。親ツバメは飛び去った。落とされた虫を確認すると、死んでいた。

 子どもの餓死した事件報道が続いている。ある女性が「自分は食べなくても子どもにだけは、これが母親の心情」と声を詰まらせてインタビューに応じていた。虐待や貧困などがその背景にあるといわれるが、そこに至った原因について知る由もない。しかし、日本社会の厳しい一つの現実であることを知る。親は子に食べさせる、この当たり前と思うことができない事情をどう解消するのか、社会問題として考えよう。

 戦後のある時期、給食のない日、弁当の時間になると「食べに帰ってきます」と教室を出ていくクラスメートがいた。家で食べてくるものと子どもなりに思っていた。偶然だが、そのクラスメートが運動場の大きなえの木の根本にしゃがみ込んで、地面に何かを書いているのを見た。昼休みが終わるころ教室へ帰ってきた。毎回そうだったのか確かなことはわからないが、その日、昼食抜きということは子どもなりに理解できた。

 巣作り中も含めそこには数個の巣が並んでいる。餌を運んできたことがどうして分かるのか、親ツバメの姿が現れる直前、大きく口を開けて立ち上がるようして巣から身を乗り出す。親は口を開けている子に餌を与える。親を見て口を開けたのでは餌が貰えないことがよく分かる。それは、生きること、餌を得るための生まれながらの習性だろう。年々、作付面積が減少する稲田に合わせ虫も減るだろう。縄張り争いせず日本での生活を繰り返してほしい。
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