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先日、訪ねた家の庭で剪定で切り落とした枝を炊きながら暖をとった。久しぶりのたき火に同年輩の輩の話は、幼いころのたき火から焼きイモの思い出になった。すると家の主がアルミ箔に包んだサツマ芋をたき火に投げ込む。思わぬご馳走に、この後に控えている秋尽くしの料理のあることを一時、忘れさせた。
「アッツアッツ」と焼きイモを口にしながら久しぶりの童心に返る。食べながら戦後のイモ生活も話題になる。今、町中ではたき火はできないから、こうした焼きイモを食べることはかなわない。道の駅で石焼イモの車に並んで待つ人の光景を見るが、時代は変わっても焼きイモは誰にも好かれているようだ。ただ、腹の足しにしたころのイモと、スイーツ(この言葉には疑問も多いが)風に口にするイモとでは、有難さや味が大きく違うだろう。
若い方のブログにサツマイモを使った「スイーツ」が載っているのを見かける。そこには独自の工夫した内容と仕上がりの美味そうな姿がある。サツマイモに対し持っている戦前戦中人間の食としてのイメージはどこにも感じない。おそらくサツマイモはスイーツの原料、くらいの感覚だろうと勝手に思う。
ふかしイモを薄片に切りそれを天日干しで乾燥させる。乾くと飴色の硬いせんべいのようになり保存ができた。この干しイモは噛めばふかしイモとは違った甘みがあり、子どものころの間食だった。祖母は「これはお天道様の恵み」といいながら包丁を使っていたことを思い出す。干すときは子ども手の届かないところに置き、完成まで手を触れさせなかった。懐かしい干しイモを作ってみよう。