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この絵は旧制岩国中学校の正門である。明治12年錦見小学校に設置された変則中学校が本校の前身といわれる。明治13年に県立となっているがその頃は尋常科3年、高等科2年の構成であった。明治19年以後も制度上多くの変遷があり、同33年より独立して岩国中学校となる。卒業生は明治、大正、昭和の三代にわたり多くのすぐれた人物を輩出している。
地元の防長新報(現在は廃刊)に連載の「岩国今昔」は市内の建築構造物などを絵と記事で115回掲載された。前の文章と写真は「旧制岩国中学校の正門」(昭和62年3月15日掲載)をお借りした。足跡から冬の正門付近とわかる。昭和23年4月学制改革で岩国高等学校になる。昭和43年に川西の新校舎へ移転するまでこの姿だった。跡地は公園に変わったが大きな石の門柱は残っている。
唐突に母校でもない学校のことを書いたのは、それはいい光景に出会ったことによる。暖冬でもその日は寒い日だった。散歩で通りかかったとき「ここにあった高校を卒業した」、石の元門柱を指さして話す旅行者がいた。私と歳の差はないように感じたが、孫息子くらいの連れは頷きながら聞いていた。見たのはそれだけだが、その姿に母校への懐かしい思いが感じられた。
現役のとき千葉へ転勤の話しはあったが、プロジェクトの中止により取りやめになった。そのため幸か不幸かは分からないが生れた地を離れたことがない。そんなことから学校の門柱を指し懐かしむような感覚は育っておらず、見かけた光景に「いいなあ」と感じたのだと思う。故郷は遠きにありて思うもの、そんな一節が浮かんだ。