95年の佐渡アストロマンの参戦記が出てきました。当時まだ私は
「TーJOY」には参加しておらず、「ハート・ヴュー」にいた時で。
最近TJ誌に良く出ている、当時JOYに居たH野T弘君のデビューの年でも
ありました、当時彼とはプールが一緒で、良く一緒に練習したものです。
佐渡も一緒に行きました。この参戦記は当時のハート・ヴューの季刊誌
「ハート・ヴュー・プレス」に投稿したもので、今から10年前の事です、
脚色せずに当時のままに記載いたします。
まだ私はアルミマンではありませんでした、、、、
表題も当時は、、、
「骨折四人衆+1佐渡ヶ嶋奮戦記」
8月30日PM8:30 I原君より「今、K林君が私の家を出ました」とTELがある、
PM9:00K林君我が家へ到着、早々に荷物を積み込み、浅間町のH野宅へ、と
思いきや、I原宅へ忘れ物をとりに戻る、、、こんな感じでバタバタと我々
骨折四人衆+1の「アストロマン出場奮戦記」が始まったのである。
ちなみに骨折四人衆+1とは、K松進一君、K林伸彦君、T-JOYのH野隆弘君以上
鎖骨骨折トリオと私、カルロス・アルベルト・N野(肩甲骨骨折)の4人と
K松婦人、つまりK松由美ちゃんの5人である。
9:30H野宅へ、30分遅れで到着、H野のフィアンセのチトセ('94湘南ハーフ
女子チャンピオン)もいて、差し入れなどしてくれる。(どうもありがとう)
今回チトセは仕事の都合が付かず、応援に土、日で来るとの事、「それでは
佐渡で待ってるよ」とチトセと別れ、K松夫妻の待つ「サンクス都築インター店」
へ向かう、10:30予定より30分遅れでK松夫妻と合流、10:45いよいよ佐渡へと
向かった。
第3京浜、環八、関越とI原借用タウンエース2000デーゼルエンジン仕様車と
K松夫妻のスプリンターカリブは快調に走っていく。時折トンネルを抜けると
大雨が降っていてびっくりしたが。(後々この大雨の影響ですごい事になる)
北陸自動車道、新潟西I・Cで降り新潟港へ、、ここでまたバタバタとH野運転の
タウンエース、道を間違え中々港に着かない、しかしながら何とか港にたどり
付く、9月1日AM3:00であった。2時間ほど車中で仮眠を取り、AM5:00フェリー
の乗船手続きをする。周りの車はほとんど佐渡出場の人達のようだった、
ちなみに我々の後ろの車はSBU3のT山さんであった。
AM6:10フェリー出航、いよいよ佐渡ヶ嶋へ、、、(すぐ寝る)
AM8:30両津港到着、佐和田町へと車を走らす、今日9月1日はけっこう
忙しく予定を組んでいるので、押せ押せの感じで車を飛ばす、
9:40佐和田文化会館到着、ヘルメットチェックとバイク自主点検カード
の提出をして、10:00より競技説明会、選手登録を済ませ10:40「いせや旅館
」へバイクを降ろし荷物を部屋に運び込み、一息付く間もなく昼食へ、
PM1時よりコースの下見バスに乗らなくてはならないので、オムレツ定食¥600
をワシワシとむさぼるように食す、K松夫妻は佐渡は3回目との事で、下見も
しないし、余裕シャクシャクでうらやましい限りである、進一君は何と
ビールまで飲んでいるのであった。ワシワシ!!がつっガツッ、ズルズルと
昼食を済し、休む間も無く佐和田文化会館まで走って行く、私とK林君は
Aタイプの下見バス、H野君はBタイプのバスに乗り、PM1:00下見バス発車。
しかし私は前日からの押せ押せスケジュールの為、かなりの睡眠不足、
バスが出て間もなく意識が無くなる(何のための下見か?)
気が付くと47km地点の「Z坂」である、下から見上げると「Z」の字のように
なっているそれで「Z」坂だそうだ。しかしまた意識が遠のく、、、、、、
目が覚めると56km地点大野亀ロッジ、前半最大の難所である、10分休憩して
出発、、、またすぐ意識が、、、、K林君は地図をチェックしながらも私に
つられて意識不明のようだ。後は所々意識が戻ったがちっとも下見にはなって
なかった。
PM4:00再びバスは佐和田文化会館へ、4:50よりカーボ・パーティーなのだが
まだ時間があるので宿へ戻る事にする、
会館の下の方で、ウェアー、サングラス、その他を安売りしていた。
K林君につられてクリアミラーサングラス(トライスポーツ)
¥3000とパワーバーバナナ味を1本買う、安売りウェアーの山をかなり
熱心に引っ掻き回す、ごつい男がいた、良く見るとF原ゆーじであった。
目が合ったので「F原さん皆生優勝おめでとう」と言うと「はい!!ありがとう
ございます。ようやくです」とニッカァ!!と笑って言ってくれた。なんか
私まで嬉しくなってしまった。(F原ゆーじっていい奴だなぁ~、、、、)
宿に戻りようやく一息つける、、、、、
「TーJOY」には参加しておらず、「ハート・ヴュー」にいた時で。
最近TJ誌に良く出ている、当時JOYに居たH野T弘君のデビューの年でも
ありました、当時彼とはプールが一緒で、良く一緒に練習したものです。
佐渡も一緒に行きました。この参戦記は当時のハート・ヴューの季刊誌
「ハート・ヴュー・プレス」に投稿したもので、今から10年前の事です、
脚色せずに当時のままに記載いたします。
まだ私はアルミマンではありませんでした、、、、
表題も当時は、、、
「骨折四人衆+1佐渡ヶ嶋奮戦記」
8月30日PM8:30 I原君より「今、K林君が私の家を出ました」とTELがある、
PM9:00K林君我が家へ到着、早々に荷物を積み込み、浅間町のH野宅へ、と
思いきや、I原宅へ忘れ物をとりに戻る、、、こんな感じでバタバタと我々
骨折四人衆+1の「アストロマン出場奮戦記」が始まったのである。
ちなみに骨折四人衆+1とは、K松進一君、K林伸彦君、T-JOYのH野隆弘君以上
鎖骨骨折トリオと私、カルロス・アルベルト・N野(肩甲骨骨折)の4人と
K松婦人、つまりK松由美ちゃんの5人である。
9:30H野宅へ、30分遅れで到着、H野のフィアンセのチトセ('94湘南ハーフ
女子チャンピオン)もいて、差し入れなどしてくれる。(どうもありがとう)
今回チトセは仕事の都合が付かず、応援に土、日で来るとの事、「それでは
佐渡で待ってるよ」とチトセと別れ、K松夫妻の待つ「サンクス都築インター店」
へ向かう、10:30予定より30分遅れでK松夫妻と合流、10:45いよいよ佐渡へと
向かった。
第3京浜、環八、関越とI原借用タウンエース2000デーゼルエンジン仕様車と
K松夫妻のスプリンターカリブは快調に走っていく。時折トンネルを抜けると
大雨が降っていてびっくりしたが。(後々この大雨の影響ですごい事になる)
北陸自動車道、新潟西I・Cで降り新潟港へ、、ここでまたバタバタとH野運転の
タウンエース、道を間違え中々港に着かない、しかしながら何とか港にたどり
付く、9月1日AM3:00であった。2時間ほど車中で仮眠を取り、AM5:00フェリー
の乗船手続きをする。周りの車はほとんど佐渡出場の人達のようだった、
ちなみに我々の後ろの車はSBU3のT山さんであった。
AM6:10フェリー出航、いよいよ佐渡ヶ嶋へ、、、(すぐ寝る)
AM8:30両津港到着、佐和田町へと車を走らす、今日9月1日はけっこう
忙しく予定を組んでいるので、押せ押せの感じで車を飛ばす、
9:40佐和田文化会館到着、ヘルメットチェックとバイク自主点検カード
の提出をして、10:00より競技説明会、選手登録を済ませ10:40「いせや旅館
」へバイクを降ろし荷物を部屋に運び込み、一息付く間もなく昼食へ、
PM1時よりコースの下見バスに乗らなくてはならないので、オムレツ定食¥600
をワシワシとむさぼるように食す、K松夫妻は佐渡は3回目との事で、下見も
しないし、余裕シャクシャクでうらやましい限りである、進一君は何と
ビールまで飲んでいるのであった。ワシワシ!!がつっガツッ、ズルズルと
昼食を済し、休む間も無く佐和田文化会館まで走って行く、私とK林君は
Aタイプの下見バス、H野君はBタイプのバスに乗り、PM1:00下見バス発車。
しかし私は前日からの押せ押せスケジュールの為、かなりの睡眠不足、
バスが出て間もなく意識が無くなる(何のための下見か?)
気が付くと47km地点の「Z坂」である、下から見上げると「Z」の字のように
なっているそれで「Z」坂だそうだ。しかしまた意識が遠のく、、、、、、
目が覚めると56km地点大野亀ロッジ、前半最大の難所である、10分休憩して
出発、、、またすぐ意識が、、、、K林君は地図をチェックしながらも私に
つられて意識不明のようだ。後は所々意識が戻ったがちっとも下見にはなって
なかった。
PM4:00再びバスは佐和田文化会館へ、4:50よりカーボ・パーティーなのだが
まだ時間があるので宿へ戻る事にする、
会館の下の方で、ウェアー、サングラス、その他を安売りしていた。
K林君につられてクリアミラーサングラス(トライスポーツ)
¥3000とパワーバーバナナ味を1本買う、安売りウェアーの山をかなり
熱心に引っ掻き回す、ごつい男がいた、良く見るとF原ゆーじであった。
目が合ったので「F原さん皆生優勝おめでとう」と言うと「はい!!ありがとう
ございます。ようやくです」とニッカァ!!と笑って言ってくれた。なんか
私まで嬉しくなってしまった。(F原ゆーじっていい奴だなぁ~、、、、)
宿に戻りようやく一息つける、、、、、
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