今回、私 原口久美子が担当いたします。
『揺れる』の稽古場はいま、今月いっぱいお休み中。しかしその間も『消えた海賊』の定時制・通信制の高校を対象とした学校公演があったり、みんな『揺れる』のポスターを貼りに出かけて行ったり、あちこち電話かけしたりと、忙しく過ごしています。
私は今月末に引っ越しをするため、仕事のあと荷物整理。片付かない大量の荷物とダンボールに囲まれて、休み前に演出家に渡された柄谷行人の『「日本文化史観」について』、そして一度ダンボールにしまった本をひっくり返して、の坂口安吾の『「日本文化史観」』を読み直しております。
『揺れる』はとても情報量の多い本です。
何をどう取っ掛かりにしたら良いか、すぐ迷子になってしまいます。
当然、ドイツの時事ネタも多い。。。
しかし!!!
何故だろう、なんだかいっぱい感じることがあるんです。
とてもせつないのです。
《現実》というものがなんなのか。自分を突き放し、存在するもの。
「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」(文学のふるさと)
『櫻の森の満開の下』の稽古場で何度も読んだ文章ですが、いま『揺れる』に取り組みながらこれを読むと、あの時とは違う感覚で立ち上がってきます。
息をすること
笑うこと
誰かと手をつなぐこと
涙を流すこと
そうよ 簡単なことよ
人として普通の感情、感覚から突き放される。
笑うことも、泣くことも、息をすることさえ
全然簡単なことじゃない。
稽古はまだ入り口をウロウロしている感じですが、これからどんな風に変わるのか、いろんな可能性を秘めた稽古場です。
2月に入ると、ついにブレヒトの芝居小屋の取り壊し作業が始まるそうです。
時々、吉祥寺へ向かうバスの中から見るブレヒトの芝居小屋は、すっかり煤けてしまって、なんとも言えない寂しい気持ちなっていたのですが、あーいよいよ無くなるんだなぁと思うと。。。こういう感覚も突き放されるというのかしらなんてつらつら考えながら。。。
引っ越し作業再開。断捨離決行です。
注)写真はブログ係の雨宮が、無理を言って先日の『消えた海賊』の写真を頂きました
原口さん、ありがとうございました!
『揺れる』の稽古場はいま、今月いっぱいお休み中。しかしその間も『消えた海賊』の定時制・通信制の高校を対象とした学校公演があったり、みんな『揺れる』のポスターを貼りに出かけて行ったり、あちこち電話かけしたりと、忙しく過ごしています。
私は今月末に引っ越しをするため、仕事のあと荷物整理。片付かない大量の荷物とダンボールに囲まれて、休み前に演出家に渡された柄谷行人の『「日本文化史観」について』、そして一度ダンボールにしまった本をひっくり返して、の坂口安吾の『「日本文化史観」』を読み直しております。
『揺れる』はとても情報量の多い本です。
何をどう取っ掛かりにしたら良いか、すぐ迷子になってしまいます。
当然、ドイツの時事ネタも多い。。。
しかし!!!
何故だろう、なんだかいっぱい感じることがあるんです。
とてもせつないのです。
《現実》というものがなんなのか。自分を突き放し、存在するもの。
「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」(文学のふるさと)
『櫻の森の満開の下』の稽古場で何度も読んだ文章ですが、いま『揺れる』に取り組みながらこれを読むと、あの時とは違う感覚で立ち上がってきます。
息をすること
笑うこと
誰かと手をつなぐこと
涙を流すこと
そうよ 簡単なことよ
人として普通の感情、感覚から突き放される。
笑うことも、泣くことも、息をすることさえ
全然簡単なことじゃない。
稽古はまだ入り口をウロウロしている感じですが、これからどんな風に変わるのか、いろんな可能性を秘めた稽古場です。
2月に入ると、ついにブレヒトの芝居小屋の取り壊し作業が始まるそうです。
時々、吉祥寺へ向かうバスの中から見るブレヒトの芝居小屋は、すっかり煤けてしまって、なんとも言えない寂しい気持ちなっていたのですが、あーいよいよ無くなるんだなぁと思うと。。。こういう感覚も突き放されるというのかしらなんてつらつら考えながら。。。
引っ越し作業再開。断捨離決行です。
注)写真はブログ係の雨宮が、無理を言って先日の『消えた海賊』の写真を頂きました
原口さん、ありがとうございました!