今回の韓国公演では、
また、いろいろな出会いがありました。
なかでも、ドイツ人演出家・エンリコ氏との出会いは、
とても印象深く残っています。
彼の演出論の一端は、
ワークショップをのぞいた時にわかった。
とても好感の持てる雰囲気で、
わかりやすく解説していたし、
何よりブレヒトの演劇論についての考え方が、
僕らに似ていた。
彼もまた、公演を観てくれていた。
打ち上げで、ずいぶん話し込んだ。
最後に彼に、思わず言ってしまった。
「君が演出をすればよい」と。
「もちろん♪ 電話を1本くれればね。」だって。
こんなの実現したら、
ちょっとおもしろいかもしれない。
自分のことを、
ベルリナー・アンサンブルとシャウビューネの中間に位置する演出家だと言っていた。
もし実現すれば、
かなりおもしろい仕事になると思うのだが…。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
そして、
再三、再四、日記に登場した日本人の彼女のこと。
2001年に出会った沖縄の少女との韓国での再会。
そのことが、
いろんな思いをオーバーラップさせた。
いま、アフガニスタンでは韓国人が拉致され、殺されている。
9.11の頃、沖縄に滞在していた僕、
アメリカの報復爆撃がアフガンに向かった頃、
『走れメロス』の沖縄公演で出会った。
そして、テロ根絶を叫び、
アメリカがイラクへの戦争を始めた。
アジアの中でいち早くこの戦争を支持した国。
日本と韓国。
その国の民間人は、
どちらもテロリストによって殺されている。
国家は、彼らを助けることはできなかった。
軍隊を持つ国も、
軍隊を持たない国も、
国は、民間人を助けることはできなかった。
すべては点でしかない。
なんだか強引なつじつま合わせのような気もするが、
細い、細い、糸でつながっている気もする。
いままで、
これほどまでに世界を身近に感じていたことがあるだろうか。
グローバリズムはこれほどまでに身近に、
僕の日常に食い込んでいる。
もはやコソボはどこ?
PKOって何?
と、無知を理由に、
無関係を通せる年齢でもない。
敗戦からのち、
スパイだのアカだのの恐怖が騒がれ、
近年ではテロの恐怖が騒がれ続け、
しかし、いまだにその恐怖を現実的に感じたことはない。
いつでも、目に見えない仮想の敵を作り出し、
国民の安全を守るような法を作り、
軍隊を作り、
いつのまにか戦争を仕掛けられる国になっている。
今、この国はその一歩手前である。
目に見える敵に目をつぶり、
目に見えない敵を相手に闘う。
何かあったら、
「それが敵の一つだ!」
なんて、都合のいい後づけの理由を挙げてみる。
今、稽古場では沖縄の作家・目取真俊の作品を上演しようとしている。
痛みを伴ってしか上演できない公演となるだろう。
例えば、そう、
あの沖縄戦の事を考えれば、
この国の軍隊が、
いかに国民を守らないかが見えてくる。
軍隊ができて、
戦争が起こり、
そのうち兵隊たちが、
「いくら出せば助けてやる」などと言ってきそうな気さえする。
金を持っている奴から守ってやる。
いや、すでに世界はそういう状態なのかもしれない。
うちのお嬢に、
何の財産も残せてやれないだろう僕は、
どんな社会を、どんな未来を彼女に見せてあげられるのだろうか。
旅の終りに思うこと。
必ずしも、明るい未来についてではない。
しかし、
国境を越えた出会いは、
別の新しい、未知の未来を予感させることでもあった。
新しい演出家との出会いになるかもしれないし、
何より、
若い韓国の演劇を志す人たちの誰かと、
きっと再会できるだろうという予感もある。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
人と出会う。
信頼できる人と出会う。
一つ一つの出会いを重ねていくこと。
これ以外に、世界を変える方法はないのではないか、
と、何気に本気で思っている。
また、いろいろな出会いがありました。
なかでも、ドイツ人演出家・エンリコ氏との出会いは、
とても印象深く残っています。
彼の演出論の一端は、
ワークショップをのぞいた時にわかった。
とても好感の持てる雰囲気で、
わかりやすく解説していたし、
何よりブレヒトの演劇論についての考え方が、
僕らに似ていた。
彼もまた、公演を観てくれていた。
打ち上げで、ずいぶん話し込んだ。
最後に彼に、思わず言ってしまった。
「君が演出をすればよい」と。
「もちろん♪ 電話を1本くれればね。」だって。
こんなの実現したら、
ちょっとおもしろいかもしれない。
自分のことを、
ベルリナー・アンサンブルとシャウビューネの中間に位置する演出家だと言っていた。
もし実現すれば、
かなりおもしろい仕事になると思うのだが…。
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そして、
再三、再四、日記に登場した日本人の彼女のこと。
2001年に出会った沖縄の少女との韓国での再会。
そのことが、
いろんな思いをオーバーラップさせた。
いま、アフガニスタンでは韓国人が拉致され、殺されている。
9.11の頃、沖縄に滞在していた僕、
アメリカの報復爆撃がアフガンに向かった頃、
『走れメロス』の沖縄公演で出会った。
そして、テロ根絶を叫び、
アメリカがイラクへの戦争を始めた。
アジアの中でいち早くこの戦争を支持した国。
日本と韓国。
その国の民間人は、
どちらもテロリストによって殺されている。
国家は、彼らを助けることはできなかった。
軍隊を持つ国も、
軍隊を持たない国も、
国は、民間人を助けることはできなかった。
すべては点でしかない。
なんだか強引なつじつま合わせのような気もするが、
細い、細い、糸でつながっている気もする。
いままで、
これほどまでに世界を身近に感じていたことがあるだろうか。
グローバリズムはこれほどまでに身近に、
僕の日常に食い込んでいる。
もはやコソボはどこ?
PKOって何?
と、無知を理由に、
無関係を通せる年齢でもない。
敗戦からのち、
スパイだのアカだのの恐怖が騒がれ、
近年ではテロの恐怖が騒がれ続け、
しかし、いまだにその恐怖を現実的に感じたことはない。
いつでも、目に見えない仮想の敵を作り出し、
国民の安全を守るような法を作り、
軍隊を作り、
いつのまにか戦争を仕掛けられる国になっている。
今、この国はその一歩手前である。
目に見える敵に目をつぶり、
目に見えない敵を相手に闘う。
何かあったら、
「それが敵の一つだ!」
なんて、都合のいい後づけの理由を挙げてみる。
今、稽古場では沖縄の作家・目取真俊の作品を上演しようとしている。
痛みを伴ってしか上演できない公演となるだろう。
例えば、そう、
あの沖縄戦の事を考えれば、
この国の軍隊が、
いかに国民を守らないかが見えてくる。
軍隊ができて、
戦争が起こり、
そのうち兵隊たちが、
「いくら出せば助けてやる」などと言ってきそうな気さえする。
金を持っている奴から守ってやる。
いや、すでに世界はそういう状態なのかもしれない。
うちのお嬢に、
何の財産も残せてやれないだろう僕は、
どんな社会を、どんな未来を彼女に見せてあげられるのだろうか。
旅の終りに思うこと。
必ずしも、明るい未来についてではない。
しかし、
国境を越えた出会いは、
別の新しい、未知の未来を予感させることでもあった。
新しい演出家との出会いになるかもしれないし、
何より、
若い韓国の演劇を志す人たちの誰かと、
きっと再会できるだろうという予感もある。
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人と出会う。
信頼できる人と出会う。
一つ一つの出会いを重ねていくこと。
これ以外に、世界を変える方法はないのではないか、
と、何気に本気で思っている。