-嵐の翌日は快晴だったが…-
(永田岳からの360°パノラマ)
4/30
○ 一夜明けると前日はうって変わって快晴。しかし、また次の低気圧が近づいていたこと、昨日寝ていなかったこと、テントやシュラフが濡れて重くなっていたことなどの理由で栗生へ下りる予定を変更して、鹿の沢を第一目標にエスケープ。天候悪化の兆しが見えないので一気に永田に下山することにする。
昨晩寝ていなかったのでメンバーの足取りは重く極端にペースが落ちていた。途中サイト可能な場所があったのでそこで1泊するつもりでパックをほどく。しかし、天気図をつけると、さらに6~7の低気圧が接近していたのでパックをやり直して一路永田を目指す。
ところが、永田の村を目の前にして川の橋が壊れ渡れなかったので川の手前で1泊することになった。
○ 「橋がない!道もない! ハードボイルド30日」
昨日の暴風雨の後始末とパックに約2時間。シュラフだけでも5㎏はありそう。TUWVとの記念撮影をおえ、どうにかパック終了。計画を永田岳 → 鹿の沢 → 永田に変更する。
昨晩、(Y氏を除いて)ほとんど寝ていなかったのと雨で濡れ重たくなったキスリングのせいでペースは遅い。でも天気は快晴。永田岳からの360°パノラマは雄大であった。
9時45分鹿の沢小屋に着く。汚い。鹿の沢は泣いていた。その後永田を目指してちんたらちんたら。みんなの足取りは重い。心も重い。
-地獄の行進を綴ったページ-
4/1(Tue)
○ 「4月」「しがつ…しがつ-」になってしもうた。先日の30日は地獄の行進であった。29日は宮之浦分岐で暴風雨にあい、テント、シュラフ、替え靴下、替えパンツetcみんなびっしょりだったので、地獄の行進はえらくしんどかった。なにしろ1800m近くの高さから一気に下界に下りてきたのだから。足はジンジン、ガタガタマメはできるし、肩は痛いし、腰もヒリヒリ、でもなんとか永田の河畔に着いたけれどもあるはずの橋がない、崩れている。陽はとっくに暮れてあたりは闇、あっちに行ったりこっちに来たりなんとか川の向こうに渡ろうとしたが危険なようであった。永田の灯りはすぐそこに見えているのに…。その日は林道を出た場所にテントを張ることにする。みんなすっかり疲れ切っている。それから晩飯をつくり、差し入れのウイスキーを飲み眠る。シュラフは濡れているからごろ寝。1時頃であった。
「起床、起床!」の声。はじめは何のことか分からなかった。「5分も寝てないのに、PLもついに頭が狂ったか」などと思ったのである。が、しかし、時計を見ると4時。だから3時間は眠っているのである。朝飯を食べずビスケットですませ、明るくなり始めた頃に出発。飛び石づたいに川を渡るのである。川は2つあった。第1の川は簡単に渡れたが、次が問題である。水量も多いし、流れも速い。PLとSLでまずキスリングを渡し、時間をかけて渡りきる。
永田の集落の人はみんな親切であった。まず最初に会った人は馬を使って畑を耕しているおっさんであった。江崎くんは久しぶりに会った里の人におじぎをするとその人もちゃんとあいさつを返してくれた。その後分かれ道のところで、その人は遠くから大きな声で「左、左」と叫んで道を教えてくれた。永田の万屋でいろいろ買い出しをすると、そこのおばさんはボタもちをくれた。あの橋の話をしたら、そこのおばさんは「あの橋も早くなんとかせんといかんという話もあるけどねェ-」と
-まだまだ続きます-
(永田岳からの360°パノラマ)
4/30
○ 一夜明けると前日はうって変わって快晴。しかし、また次の低気圧が近づいていたこと、昨日寝ていなかったこと、テントやシュラフが濡れて重くなっていたことなどの理由で栗生へ下りる予定を変更して、鹿の沢を第一目標にエスケープ。天候悪化の兆しが見えないので一気に永田に下山することにする。
昨晩寝ていなかったのでメンバーの足取りは重く極端にペースが落ちていた。途中サイト可能な場所があったのでそこで1泊するつもりでパックをほどく。しかし、天気図をつけると、さらに6~7の低気圧が接近していたのでパックをやり直して一路永田を目指す。
ところが、永田の村を目の前にして川の橋が壊れ渡れなかったので川の手前で1泊することになった。
○ 「橋がない!道もない! ハードボイルド30日」
昨日の暴風雨の後始末とパックに約2時間。シュラフだけでも5㎏はありそう。TUWVとの記念撮影をおえ、どうにかパック終了。計画を永田岳 → 鹿の沢 → 永田に変更する。
昨晩、(Y氏を除いて)ほとんど寝ていなかったのと雨で濡れ重たくなったキスリングのせいでペースは遅い。でも天気は快晴。永田岳からの360°パノラマは雄大であった。
9時45分鹿の沢小屋に着く。汚い。鹿の沢は泣いていた。その後永田を目指してちんたらちんたら。みんなの足取りは重い。心も重い。
-地獄の行進を綴ったページ-
4/1(Tue)
○ 「4月」「しがつ…しがつ-」になってしもうた。先日の30日は地獄の行進であった。29日は宮之浦分岐で暴風雨にあい、テント、シュラフ、替え靴下、替えパンツetcみんなびっしょりだったので、地獄の行進はえらくしんどかった。なにしろ1800m近くの高さから一気に下界に下りてきたのだから。足はジンジン、ガタガタマメはできるし、肩は痛いし、腰もヒリヒリ、でもなんとか永田の河畔に着いたけれどもあるはずの橋がない、崩れている。陽はとっくに暮れてあたりは闇、あっちに行ったりこっちに来たりなんとか川の向こうに渡ろうとしたが危険なようであった。永田の灯りはすぐそこに見えているのに…。その日は林道を出た場所にテントを張ることにする。みんなすっかり疲れ切っている。それから晩飯をつくり、差し入れのウイスキーを飲み眠る。シュラフは濡れているからごろ寝。1時頃であった。
「起床、起床!」の声。はじめは何のことか分からなかった。「5分も寝てないのに、PLもついに頭が狂ったか」などと思ったのである。が、しかし、時計を見ると4時。だから3時間は眠っているのである。朝飯を食べずビスケットですませ、明るくなり始めた頃に出発。飛び石づたいに川を渡るのである。川は2つあった。第1の川は簡単に渡れたが、次が問題である。水量も多いし、流れも速い。PLとSLでまずキスリングを渡し、時間をかけて渡りきる。
永田の集落の人はみんな親切であった。まず最初に会った人は馬を使って畑を耕しているおっさんであった。江崎くんは久しぶりに会った里の人におじぎをするとその人もちゃんとあいさつを返してくれた。その後分かれ道のところで、その人は遠くから大きな声で「左、左」と叫んで道を教えてくれた。永田の万屋でいろいろ買い出しをすると、そこのおばさんはボタもちをくれた。あの橋の話をしたら、そこのおばさんは「あの橋も早くなんとかせんといかんという話もあるけどねェ-」と
-まだまだ続きます-