TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

眉山(まんやま)

2016年08月07日 | 島原


病院のラウンジの窓からきれいに眉山が見えていました。
一緒に見ていた父が、「子どもんじぶんは『まんやま』って言いよったで」と一言。
(「子どもの頃は『まんやま』と言っていたんだよ」)
これまでも本ブログで紹介しましたが、父が使う島原弁に出てくる固有名詞には、昔からの言い方がそのまま残っています。
私は「まんやま」という言葉に即座に反応しました。

「『まんやま』てや?」
「え-。今んもんは『まゆやま』て言うばってん」


島原図書館の郷土資料コーナーで調べました。

ありました!

まず、藩政時代の地図ですが、今の眉山の表記は「前山」です。
寛政4年(1792年)の島原大変前後の記述も「前山」です。


さらに、渋江鉄郎氏が書かれた「眉山ものがたり」には、わざわざ「まんやま」とルビがふってあります。ワクワクしながら開いてみると次の記述がありました。

「島原城下から仰ぎ見るなれば、雲仙連峰の主嶺である普賢岳を奥山と呼び、その前にあるから『前山』といいならわした。これを島原人は『まんやま』と呼称している。前ん山の変化である。島原発言では『の』が『ん』になる。」(昭和50年発行)


父も、私も毎日「眉山」を見て育ちました。

わが家付近から見た山

左が眉山で、右が雲仙です。

眉山は私が子どもの頃「女性の顔に見えるね」とよく友達と話題にしていました。

昔はもう少し目鼻立ちがハッキリしていたような気がするのですが、単なる記憶ちがいかそれとも眉山の風化が進んだのか…


島原外港から見た眉山

こちらから見ると山の形は大きく変わります。

白土湖から見た眉山


島鉄外港駅付近から見た眉山


私も含め島原の人は朝夕眉山を見て育ちました。

「眉山 それは島原の温和な母であり峻厳な父でもある。幾世代この山のふところに生まれ、はぐくまれ生活して来た人びとは、愛郷と思慕の炬火として仰望して来たものである。」
(眉山治山祈念公苑整備促進期成会趣意書)

故郷の山、眉山についてはもっともっと書きたいことがありますが、また別の機会に。

【余談】
前回までのブログ「一枚の写真より」シリーズの冒頭に、「昔撮った写真が必要になりあれこれ探して…」と書いていましたが、探していたのは昔撮っていたわが家から見た眉山の写真です。女性の顔のように見える眉山の鼻が低くなった気がするのですが、昔の写真と比較すれば私の思いちがいかどうかがはっきりすると思ったからです。
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