60を過ぎたあたりから少し石仏に興味をもつようになりましたが、石仏については全くの素人です。
ましてや2,3日の国東旅行で、国東の石仏について論じるのはおこがましいと思いましたが、素人なりの気づきを述べてみたいと思います。
国東は「仏の里」と言われていて、多くの石仏があります。
有名な国東塔
いたるところで目にすることができる石仏
大きな塔(文殊仙寺:大宝篋印塔:9m)
そんな中、国東を巡る中で発見がありました。
それはレリーフ調の石仏の割合が多いということです。何となく多いとは感じていましたが確信に変わったのは、富貴寺の参道入り口に建つ石幢を見たときです。
左手の石塔は六地蔵石幢ですが
幢の六地蔵が、私がこれまで見たのとは違い、レリーフ調だったからです。
(「レリーフ」という言い方が適切かどうか分かりませんが、素人なので)
諫早の六地蔵(参考画像)
さらに富貴寺の参道を行くと、龕部が置かれていましたが
やはりレリーフ調です。
六面ではなく四面に、2体と1体を彫り込み、合計で6体の六地蔵です。
真木大堂の六地蔵
次に仁王像について
両子寺の仁王像ですが、ふつう仁王像はこんな感じです。ところが、旧千燈寺跡の仁王像はちょっと感じが違っていました。
レリーフ調なのです。
後ろや横から撮していないのが今思えば残念です。
このような仁王様は珍しいのではないのでしょうか。
役行者の石像
文殊仙寺の役行者は一般的な石像ですが
天念寺の役行者は
崖に彫られたレリーフです。
その隣の石仏もレリーフです。
レリーフと一般的な石仏のどちらが優れているというのでなく、私が言いたいのは、国東半島にはレリーフ調の石仏の割合が多いということ、そういう特徴があるということです。
半島全部を調べ歩いたわけではなく、専門の先生方からは、「ほんの一部分を見ただけで何を言っているのか」といわれるかも知れませんが、素人が感じた率直な感想です。
「国東にはレリーフ調の石仏が多い」
それは国東の独特の地形からレリーフが多く生まれたののではと考えました。
あまりにも有名な熊野磨崖仏はレリーフです。
国東のそびえ立つ岩峰や磨崖に畏怖の念じ、そこに仏を刻んだのでしょう。
不動明王と如来に目が行きがちですが、その間にも小さな仏が刻んであります。
岩峰と磨崖の多い国東の地形がレリーフを多く生み出したのではないでしょうか。
磨崖に仏を彫るのには危険が伴い相応なエネルギーが必要ですが、そうさせるだけの力を岩峰や磨崖に感じたのでしょう。
元宮磨崖仏
天念寺川中不動尊
名前は知りませんがレリーフ調の石碑
走水観音の裏にも
ついつい長くなりましたが、「仏の里」国東では、石仏の他にも心を癒やしてくれる風景がありました。
間戸の岩屋
そこを流れる川岸の桜は終わりかけでしたが
川面を花びらで埋め尽くしていました。「花筏」です。
田染荘小崎地区の田園風景
田の区画は、1000年以上前の姿と同じで、世界農業遺産に認定されているそうです。
6回に渡り国東の山、史跡、石仏などを綴りました。それらは魅力あふれるものでしたが、今回紹介できなかった普通の景色、場面の中にも国東の良さは満ちていました。
-「国東半島へ」終わり-
ましてや2,3日の国東旅行で、国東の石仏について論じるのはおこがましいと思いましたが、素人なりの気づきを述べてみたいと思います。
国東は「仏の里」と言われていて、多くの石仏があります。
有名な国東塔
いたるところで目にすることができる石仏
大きな塔(文殊仙寺:大宝篋印塔:9m)
そんな中、国東を巡る中で発見がありました。
それはレリーフ調の石仏の割合が多いということです。何となく多いとは感じていましたが確信に変わったのは、富貴寺の参道入り口に建つ石幢を見たときです。
左手の石塔は六地蔵石幢ですが
幢の六地蔵が、私がこれまで見たのとは違い、レリーフ調だったからです。
(「レリーフ」という言い方が適切かどうか分かりませんが、素人なので)
諫早の六地蔵(参考画像)
さらに富貴寺の参道を行くと、龕部が置かれていましたが
やはりレリーフ調です。
六面ではなく四面に、2体と1体を彫り込み、合計で6体の六地蔵です。
真木大堂の六地蔵
次に仁王像について
両子寺の仁王像ですが、ふつう仁王像はこんな感じです。ところが、旧千燈寺跡の仁王像はちょっと感じが違っていました。
レリーフ調なのです。
後ろや横から撮していないのが今思えば残念です。
このような仁王様は珍しいのではないのでしょうか。
役行者の石像
文殊仙寺の役行者は一般的な石像ですが
天念寺の役行者は
崖に彫られたレリーフです。
その隣の石仏もレリーフです。
レリーフと一般的な石仏のどちらが優れているというのでなく、私が言いたいのは、国東半島にはレリーフ調の石仏の割合が多いということ、そういう特徴があるということです。
半島全部を調べ歩いたわけではなく、専門の先生方からは、「ほんの一部分を見ただけで何を言っているのか」といわれるかも知れませんが、素人が感じた率直な感想です。
「国東にはレリーフ調の石仏が多い」
それは国東の独特の地形からレリーフが多く生まれたののではと考えました。
あまりにも有名な熊野磨崖仏はレリーフです。
国東のそびえ立つ岩峰や磨崖に畏怖の念じ、そこに仏を刻んだのでしょう。
不動明王と如来に目が行きがちですが、その間にも小さな仏が刻んであります。
岩峰と磨崖の多い国東の地形がレリーフを多く生み出したのではないでしょうか。
磨崖に仏を彫るのには危険が伴い相応なエネルギーが必要ですが、そうさせるだけの力を岩峰や磨崖に感じたのでしょう。
元宮磨崖仏
天念寺川中不動尊
名前は知りませんがレリーフ調の石碑
走水観音の裏にも
ついつい長くなりましたが、「仏の里」国東では、石仏の他にも心を癒やしてくれる風景がありました。
間戸の岩屋
そこを流れる川岸の桜は終わりかけでしたが
川面を花びらで埋め尽くしていました。「花筏」です。
田染荘小崎地区の田園風景
田の区画は、1000年以上前の姿と同じで、世界農業遺産に認定されているそうです。
6回に渡り国東の山、史跡、石仏などを綴りました。それらは魅力あふれるものでしたが、今回紹介できなかった普通の景色、場面の中にも国東の良さは満ちていました。
-「国東半島へ」終わり-