TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

本明川(大川)

2015年07月20日 | 諫早




諫早の町をとうとうと流れる本明川。近世以前は「大川」(うーかわ)と呼ばれていました。現在、一級河川として国の管轄で管理・整備されていますが、川の総延長は28㎞で、一級河川としては日本一短い川です。短いがゆえに、一度大雨になると多良岳に降った雨が一気に激流となって川をかけ下ります。そのためこれまでに何度も氾濫し大きな被害を出していました。江戸時代、記録に残っている大川(本明川)の氾濫は13回で、中でも元禄12年(1699年)の氾濫の折には溺死者487人という甚大な被害をもたらしました。本明川のほとりにある慶厳寺には文化7年(1810年)と刻まれた慰霊塔が建っています。



右の石碑に「溺水霊魂塔」、その側面に「文化七年…」と刻まれています。



同じく慶厳寺ですが、門を入ってすぐの所には昭和32年(1957年)の大災害時の「水害殉難者供養塔」があります。






昭和32年7月25日、諫早地方は記録的な豪雨に襲われ本明川の氾濫などで死者・行方不明者630人という未曾有の大災害となりました。この慶厳寺には、その時の洪水の水位跡が残されています。自然災害の脅威を後世に伝えるためでしょう。








本明川の復旧は多くの人の努力で、翌昭和33年に国の管轄で行われることになりました。本明川は総延長が短いので、他の河川とのバランスで国の管轄による「改良復旧」は一度は却下されたのですが、当時の岸信介首相に被害の大きさを直訴し、一級河川に認定され国の予算で大規模な改修工事がなされました。

(当時の、岸首相視察を伝える新聞)


改良復旧で川幅が広げられた現在の本明川。



対岸の高城公園には、本明川に向かって静かに大悲観世音が佇んでおられます。諫早大水害の被害にあわれた方々の冥福を祈り、その御霊を慰めるために建立されたものです。





5日後の7月25日、諫早市は58回目の慰霊の日を迎えます。


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