お四面さん(現諫早神社)前の「うーかわ(大川)」にかかる飛び石
本明川について調べていて、昔は「大川」と書いて「うーかわ」と言っていたという記述を見つけたとき、頭の中で、錆び付いていた昔の回路がピカッとつながりました。昔の人は「大」を「うー」と発音していたことを知り、思わずうれしくなりました。
幼少の頃の食卓で、祖父が「うーざら」と言っていたのは「大皿」のことだったのかと、今やっと理解できたわけです。
あの頃、島原で大きな皿の種類として「うーざら」と「さかんばち」がありました。「さかんばち」は、直径こそ大きかったものの深さが浅い皿でかまぼこや刺身など汁の出ないものを盛っていました。宴会にはなくてはならない食器でした。一方「うーざら」は小皿に対してやや大きめで、確かに深さのある「大皿」だったのです。
今、島原で「うーざら」という人はまずいません。私自身、若い頃「うーざら」に限らず、方言を恥ずかしいことだと思い、方言を使うことを潔しとしませんでしたが、それでよかったのかと今さらながら自らに問うています。方言は先人の知恵であり、継承すべき文化だったと今になって思うからです。
「うーざら」はともかく、今島原で、昔から連綿と受け継がれてきた地名の呼び方が変わるという事態も出ています。「中原」は「なかばる」だったのですが、現在では「なかばら」に変わってしまいました。同じく「原口」は「はるぐち」だったのが「はらぐち」に、「大手原」は「おてばる」だったのが「おおてばら」にと。似ているようですが違います。昔からの地名ですので変えてはならないのです。「北浦」は現在も昔ながらの「きとら」と呼んでいますが、これもそのうち「きたうら」と変わるとしたらそら恐ろしいことです。
私は昔ながらの方言を知っている最後の世代だと自負していますので、遅まきながらもふだんの生活の中で、できるだけ方言を使っていこうと思っているところです。「うーごつ」になる前に。おっと、正しい方言は「うーごちなる前に」でした。
(「うーごち」は「うーごと」の音便で、「大事(おおごと)」のことです。
本明川について調べていて、昔は「大川」と書いて「うーかわ」と言っていたという記述を見つけたとき、頭の中で、錆び付いていた昔の回路がピカッとつながりました。昔の人は「大」を「うー」と発音していたことを知り、思わずうれしくなりました。
幼少の頃の食卓で、祖父が「うーざら」と言っていたのは「大皿」のことだったのかと、今やっと理解できたわけです。
あの頃、島原で大きな皿の種類として「うーざら」と「さかんばち」がありました。「さかんばち」は、直径こそ大きかったものの深さが浅い皿でかまぼこや刺身など汁の出ないものを盛っていました。宴会にはなくてはならない食器でした。一方「うーざら」は小皿に対してやや大きめで、確かに深さのある「大皿」だったのです。
今、島原で「うーざら」という人はまずいません。私自身、若い頃「うーざら」に限らず、方言を恥ずかしいことだと思い、方言を使うことを潔しとしませんでしたが、それでよかったのかと今さらながら自らに問うています。方言は先人の知恵であり、継承すべき文化だったと今になって思うからです。
「うーざら」はともかく、今島原で、昔から連綿と受け継がれてきた地名の呼び方が変わるという事態も出ています。「中原」は「なかばる」だったのですが、現在では「なかばら」に変わってしまいました。同じく「原口」は「はるぐち」だったのが「はらぐち」に、「大手原」は「おてばる」だったのが「おおてばら」にと。似ているようですが違います。昔からの地名ですので変えてはならないのです。「北浦」は現在も昔ながらの「きとら」と呼んでいますが、これもそのうち「きたうら」と変わるとしたらそら恐ろしいことです。
私は昔ながらの方言を知っている最後の世代だと自負していますので、遅まきながらもふだんの生活の中で、できるだけ方言を使っていこうと思っているところです。「うーごつ」になる前に。おっと、正しい方言は「うーごちなる前に」でした。
(「うーごち」は「うーごと」の音便で、「大事(おおごと)」のことです。
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