前回の続きになる。
その日本を離れるT君の壮行会が昨晩行われた。
Tは、同期をはじめ、先輩の方々、そして後輩のみんなから激励を受けた。
卒業以来30数年ぶりという懐かしい顔もあり、
ワンゲル時代の話等で会は盛り上がった。
アテンションプリーズ!ライダースインザスカイ♪…
家に帰ったT君は、奥様や子どもから言われたそうだ。
「こんなにしてもらえてお父さんは幸せだねー」と。
幹事長のSも言っていたが、Tの人徳ゆえのことであろう。
また、SUWVの絆をあらためて感じることができた一夜だった。
博多行きの特急かもめが、タイムマシーンに思えた。
その日本を離れるT君の壮行会が昨晩行われた。
Tは、同期をはじめ、先輩の方々、そして後輩のみんなから激励を受けた。
卒業以来30数年ぶりという懐かしい顔もあり、
ワンゲル時代の話等で会は盛り上がった。
アテンションプリーズ!ライダースインザスカイ♪…
家に帰ったT君は、奥様や子どもから言われたそうだ。
「こんなにしてもらえてお父さんは幸せだねー」と。
幹事長のSも言っていたが、Tの人徳ゆえのことであろう。
また、SUWVの絆をあらためて感じることができた一夜だった。
博多行きの特急かもめが、タイムマシーンに思えた。
「飲み足りない」 とのこと、そうだね。
ホント久しぶりにあって懐かしかったし、もっともっと飲んで話したかったね…。
SUWVの頃、徹底して飲んでいたからね…。
今度、泊まり込みで飲もうかどこかの山か,温泉宿で。
壮行会当日は「天山歩荷」先輩に大変お世話になりました、というかご迷惑おかけしました。
飲み足りなくてというか話足りなくてというか***
何十年ぶりという諸先輩方、同級生に会えて嬉しかったですね。
いまはSUWVはないみたいで寂しい限りです。
ひとまず失礼致します。
お父さんまで繋がっている。
涙が出るくらいうれしいです。
CDぜひ、ぜひ聞かせてください。
旧制佐高。寮歌、逍遙歌、いろいろとあったはずです。
ぜひ聞かせてください。
旧制の終わりに近い(推測ですが)父は、在学中、長崎に動員、トンネル工場で働いていたそうです。被爆当日は、工場の中のさらに建物の中の事務所で、事務をしていたので、気づいたときは、事務机の下に吹き飛ばされていたそうです(爆心地から1KMだそうです)。奇跡的に助かりがれきをかき分けて、地獄絵図の中を佐賀まで佐高の友達2人と逃げ帰ったそうです。何年か前、父の友人を連れて、長崎を巡りました。トンネル工場跡、とりあえず逃げた○○小学校他。旧制佐高では、戦争は負けること・敵国の英語の授業・将来の日本を背負う事等の授業(話?)が密かに行われていたそうです。戦争中にもかかわらず…。馬鹿息子の進学先を佐賀大学でも良いと思うよと、進めてくれた父でした。しかしながら、旧制佐高と佐賀大学はあまりにも違いすぎていたと思います…。先輩、また飲みましょう。飲んで話しましょう。
daisukeがあの晩のファイヤーストームを見ていたこと。
daisukeのお父さんが不知火寮の寮長さんだったということ。
凄すぎる!
あの晩の光景について話ができる人がこんなに身近にいたなんて…。
それから、壮行会では横の連絡を取ってくれてありがとうございました。次にあったときには、山もだが、不知火寮について語りましょう。
あの晩、遠巻きに見た不知火寮最後のファイヤーストームは私の心に今も焼き付いています。
どうして早く教えてくれなかったの?
あの晩のことを一緒に話をしたかったな…
わたしも不知火寮最後の日を見届けました。
バンカラ姿の父の姿と共に…
仰げば星斗欄干として…
旧制佐高不知火寮長だった父の歌声が今でも耳に残ります;。
先輩!今度坊がつるで飲みましょうよ!
大学で山にあこがれ、五十路で山に戻る。
私の原点なのかもしれません。