
(1980年秋 当時撮った久住の写真です。スキャナで読み込みました)
SUWV在籍中、三人の顧問の先生にお世話になった。1年の時は、ドイツ語の先生で…(申し訳ないが名前が思い出せない)。次に丹野先生。丹野先生が他の大学に移られ、その後顧問になってくださったのが國次太郎先生だった。
在学中、國次先生と一緒に山に登る機会が二度あった。
1回目は、大学3年秋の九重研修での久住登山だった。。
年季の入った登山靴とチロリアンハット姿は、先生自身が山好きであることを物語っていた。研修を無事終え帰りのバスの中で、先生は「坊ヶツル讃歌」を実に楽しそうに豊かな声量で歌ってくださったのを覚えている。
2回目は、九重研修の数ヶ月後に雲仙普賢岳にご一緒させていただいた。
このときは、福岡教育大(先生は福教大の方でも講義をされていた)のゼミの生徒を普賢登山に連れて行きたいということで、島原出身の私にガイド役として声がかかったのだった。
コースは、島原の焼山から鳩穴を経由して普賢岳であったが(このコースは平成3年の大火砕流で消滅し現在は存在しない)登りはじめてすぐに、「えっ!」と思う出来事があった。
それは、登山道の目印として木に巻いてあるテープを見るや、はさみを取り出し,いきなり切り取られたのだ。何をされるのだろうと見ていると、外したテープを別の枝に巻き直されたのだった。理由は、幹に巻いてあると木が生長するにつれ、テープが食い込み、木を傷めるからとのことだった。何という優しさだろうか、先生への敬愛の念がさらに深まった。
そんな先生が、年に1回発行する部誌「木霊」に寄稿してくださったのが、「坊ヶツル讃歌」の元歌になる「山男の歌」だった。
「山男の歌」
人みな花に 酔うときも
残雪恋ひて(超えて)
山に入り 涙を流す山男
雪解の水に 春を知る
- 以下省略 -
この元歌についてはネット上で多数紹介してあるが、「残雪恋ひて」を「超えて」と掛けて表記している歌詞はまだ見たことがない。
以前のブログにも書いたが、國次先生が紹介してくださった歌詞は実に深いと思う。
PS 「ミヤマキリシマ…」のくだりは、当然「ピンク」! → 「ミヤマキリシマ咲き誇り…」