今日の朝は珍しく遠くの山がきれいに見えました。
多良岳や雲仙の山々が今まで見たことがないほどきれいに。
カメラを家に忘れていたので、その美しい景色は写すことができませんでした。
「まあ、いいか。地元の山なのでいつでも写す機会があるから」と目に焼き付けました。
用事があって島原の実家でのことです。85歳になる父が「阿蘇が見えている」と言うので、有明海越しに熊本方面を見るとこれまたクリアに山々を見ることができました。
「どれが阿蘇ね?」と私が尋ねると、「煙が上がりよるたい」と父。
よく見ると、天気のよい日に見ることができる山のそのまた奥に、うっすらと山を確認することができました。目が慣れてくると確かに噴煙まで確認することができました。
島原に育った私も、家から阿蘇山を見たのは初めてのことで、その神々しい様に身震いしました。父も、毎朝のように日の出を拝むが、阿蘇まで見えることはめったにないと感激していました。
「次、いつ見ることができるだろうか。カメラで写しときたかったな…」と、後悔すれど後の祭り。携帯電話で写してはみたけど無駄な抵抗でした。一期一会ならぬ「一期一絵」を逃さぬように常にカメラは携行しようと心掛けていたはずなのに、また同じような反省です。
そんなわけで今回は写真なしです。
多良岳や雲仙の山々が今まで見たことがないほどきれいに。
カメラを家に忘れていたので、その美しい景色は写すことができませんでした。
「まあ、いいか。地元の山なのでいつでも写す機会があるから」と目に焼き付けました。
用事があって島原の実家でのことです。85歳になる父が「阿蘇が見えている」と言うので、有明海越しに熊本方面を見るとこれまたクリアに山々を見ることができました。
「どれが阿蘇ね?」と私が尋ねると、「煙が上がりよるたい」と父。
よく見ると、天気のよい日に見ることができる山のそのまた奥に、うっすらと山を確認することができました。目が慣れてくると確かに噴煙まで確認することができました。
島原に育った私も、家から阿蘇山を見たのは初めてのことで、その神々しい様に身震いしました。父も、毎朝のように日の出を拝むが、阿蘇まで見えることはめったにないと感激していました。
「次、いつ見ることができるだろうか。カメラで写しときたかったな…」と、後悔すれど後の祭り。携帯電話で写してはみたけど無駄な抵抗でした。一期一会ならぬ「一期一絵」を逃さぬように常にカメラは携行しようと心掛けていたはずなのに、また同じような反省です。
そんなわけで今回は写真なしです。