発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

過激表現、残酷表現にまつわるエトセトラ

2013年08月17日 | 漫画など
 あの『はだしのゲン』を、松江市の教育委員会が「描写が過激」ということで小学校中学校の閉架図書としたらしい。くやしいのう、くやしいのう、ギギギ……と、ゲンが言っているかどうかはさだかではないが。
 
 この夏、広島呉山中に、リンチのあげく殺した友人の死体を遺棄した少女が、山中の死体を見て自首を決意した、というニュースがあったけど、その話で思い出したことがある。
 私の行っていた市立中学の図書室で、一番過激な本は、最も人気があった。それは『死体は語る』(上野正彦著)である。上野氏は当時監察医。今も時々テレビに出て来られる。
 その本は、臨床が苦手で監察医となった医師が検屍や死体解剖にまつわる話を2ページ1話くらいで著わしたもので、ベストセラーになったものである。白黒で小さい死体写真がいくつも載った本だった。これも閉架行きかしら。
 海岸近くに住んでいた私は、1度だけ偶然に自死者を見たことがある。たぶんまだ5~6歳のころ。季節はまだ寒い春先。時間は日暮れ近く。引き揚がったばかりで警察官が来る前、筵の上に寝かされていた。その女性は、眠っているだけのように見えた。だが、それが僥倖であったことを後に中学時代に図書室で知ることになるのである。まったく、トラウマ背負わず、悪い夢にもならない体験だったのは、ラッキーなことだったと今も思う。
 死んだらどうなる。殺されたら(殺したら)どうなる。倫理や哲学や道徳ではなく生物、化学的に。縊死が自殺か他殺かは、昔の法医学でもすぐにわかる。偽装殺人などバレバレである。『死体は語る』は、犯罪抑止にも役立ったのではないかと。
 それにしても夏場に山中に死体を放置したらどうなるのかわかってなかったのかあの広島のバカ共は? 
 ついでに書くが、すぐ死ななかったらどうなる、生き残ったらどうなる、という知識があれば、なかなか自死したいとは思わないものだと思う。
 中学のとき、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んでの私の感想は、ウェルテル君の恋や悩みや絶望などどうでもよくて「ピストル自殺って、頭を撃っても亡くなるまでずいぶん時間がかかることもあるんだなあ」ということだった。服毒や有毒ガスなども、亡くなるまで苦しいに違いないし、もし生き残ることができても、腎臓、肝臓、脳などに重篤な障害を残す。
 お迎えが来るまで、少々辛いことがあっても、自分の生命をまっとうする。ほかの人の生命もまっとうさせる。それが大事だってことだ。
 死んだら具体的にどうなるか知らない、たぶん本など読んでいなさそーな(失礼かしら)少年少女だから、猛暑の中、山の中に死体を捨てたらどうなるかなんて想像もしなかったんだろうね。腐乱死体を見てはじめて自分たちのやったことがわかって、警察に行こうと思ったのだと。
 死んだらどうなる、から目をそらした清潔な社会は、こんな愚か者を生んだりするのだ。とりかえしのつかないことになるところまで想像が及ばない者が出て来るのだ。
 などと思っていたところに『はだしのゲン』にまつわるニュース。
 取扱いには注意を要するが、過激に見える表現、残酷に見える表現からだって、子どもはちゃんと学ぶ。
 過激な表現、残酷な表現も、その表現の扱い方まで見て、子どもに見せるかどうか決めてほしいと思う。すでに古典化している漫画を、今さら「描写が過激」ということで閉架にするなど、理解に苦しむ。が、却って関心を持って読まれるようになるかもね。

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