昭和61年の丑年記念事業として1993年に建立された「霊寶殿」。京都の妙心寺、徳川家より拝領の貴重な品々、圓藏寺で使用していた品々などが展示されています。
霊寶殿と向かい合うように建つ「圓藏寺会館」。無料の休憩施設になっており、数珠やお線香などが販売されています。雨に濡れて冷え切った体に、温かいお茶の美味しかった事。忘れられません🙏
「福満虚空蔵尊 奇祭七日堂裸詣り」「正月七日の夜に行われる寺行事。街中こうこうと燃えるかがり火の中、大鐘を合図に雪の中下帯一つの男たちが菊光堂の大鰐口を目指す姿は勇ましく見る人を魅了します。これは民衆の力で只見川に棲む竜神を追い払ったという伝説にちなんだ伝統行事です」私の故郷にも「西大寺 会陽裸祭り」なるものがありますが、熱気と人出の凄さに圧倒されて一度も実際の様子を見たことが有りません
「人形供養碑」、人の形をしたものをゴミとして捨てる事が忍びない・・そんな方達から寄せられた人形や仏像は、毎年10月の第2日曜日に圓藏寺会館で供養されます。
人形塚近くに枝を伸ばすのは、推定樹齢:約160年、樹高約18m、幹回り約3.2mの「千年杉」。枝がみな見事に上に伸びた姿が箒に似ている事から「箒杉」とも呼ばれます。左の碑は「桐樹供養塔」、柳津町、三島町、金山町は、会津桐の名産地です。昭和11年(1936)に桐材の業者の方々が桐への深い感謝をこめて建立しました。
「水塚」、何方が祀られているのか?何が祀られているのか不明。
【 一舟を 漕いで眼下の ダムの秋 新城杏所】
「鐘楼」と「良寛禪師行脚之地」碑
境内から見下ろす只見川。何度見ても、どこから見ても心に残る風景。
山門石段下に建立されている「大日如来堂」。大日岩という大きな岩に大日如来が浮かび上がったといわれ、ここに御堂を建立。大日如来は未年・申年生まれの守り本尊として親しまれ、地元町内の守り神となっています。
ここから暫く歩いて・・・石段の先。あの何とも嫌な色合いは・・・もしかして絶対に遭遇したくないパターンの・・・・あの「工事中につき立ち入り禁止!」の😱
「国寶 弁天堂」碑
当たらなくてもいい予感は良く当たる物。いや、実際に石段下からこの色が見えた時点で諦めはついていたのです😭 まさか・・まさかの工事中。旧国宝、現重要文化財の「弁天堂」。足元びしょ濡れになりながら来たのに😭
近くで見つけた句碑・・【 芋の露 浄土ハ西と 思ひ〇り 】〇の部分が不明
参拝日:2015年7月1日