愛知県稲沢市国府宮に鎮座される、尾張国総社「尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」。御祭神は『尾張大国霊神(おわりおおくにたまのかみ)』。
由緒に【神社は尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社とされた。 境内別宮の大御霊神社(大歳神之御子)・宗形神社(田心姫命)とともに国府宮三社と称する。『延喜式』では小社に列する。昭和15年(1940)に国幣小社に列格し、戦後は別表神社となった。本社の建築様式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門と並ぶもので「尾張式」と称される。また、本殿に接する位置には自然石を五個、円形に並べた「磐境(いわくら)」があり、社殿建立以前の原始的な祭祀様式を物語るものとして神聖視されている。】
御神紋は「五七の桐にふち竹に笹」
参道に架かる神橋。その昔は勅使や将軍など身分ある人しか渡れなかった橋ですが、今は橋の前後に止めがなければ一般の人も渡ることが出来ます。
神橋を渡ってまず出迎えてくれるのが重要文化財指定の楼門。足利初期の建立。正保3年(1646年)解体大修理の際、上層を改造しているとの記載があります。
楼門 の先に絵馬掛けを兼ねた、桧皮葺の「蕃塀」
楼門からまっすぐ、重要文化財指定の拝殿。徳川初期の建立で特徴として切妻造で内側に柱が並立しているとの事。
拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治四十三年七月建立の浪花系の狛犬さんかな? 吽形さんは右手に仔狛を、阿形さんは毬に手を置いています。大きく上を向いた鼻が何ともユーモラスな一対。
拝殿と祭文殿を繋ぐ廻廊
祭文殿・渡殿、この先に御本殿が鎮まられていますが高い垣に遮られ、その外観を見ることは出来ません。
境内から振り返って仰ぐ楼門の何とも美しく凛々しい事。
境内北東に鎮座される「別宮宗形神社」。御祭神は宗像三女神の一柱『田心姫命』。社号標には「天保三年(1832)壬辰九月」の刻が有ります。
境内東側に鎮座される境内社「稲荷神社」「司宮神社」「神明社」「居森社」「白山社」「三女神社」。
六社を守護されるのは、明治二十七年九月建立の浪花系の狛犬さん。ぐりぐり眉と大きく横に開いた口元、獅子頭をマルっと持ってきたようなお鼻・・かなりユニークな一対です(笑)
桧皮葺の手水舎
何を表しているのか・・不思議な吐水の備え。
約1240年前に「尾張大國霊神社」で行われた厄払いを起源とする「儺追(なおい)神事」。 旧暦1月13日に執り行われる神事は、通称「はだか祭り」と呼ばれます。まず「神男」と呼ばれる「儺負人(なおいにん)」が、神事4日前に選出され、身を清める為に体毛をすべて剃り落とし、食事は御飯と沢庵だけで、「儺追殿」に三日三晩篭もります。この「神男」に直接触ると、厄が落ちると言われており、「はだか祭り」の参加者・数千人がサラシの褌、白足袋のいでたちで、このたった一人の神男めがけて詰め寄り揉み合うのです。
「神男」は何ひとつ身につけない真っ裸の状態で「神守り(歴代神男)」に護られ、参道に入ります。神守りの護りは鉄壁で、容易に「神男」に触ることはできず、その揉み合いはまさに格闘状態!「けんか祭り」と言われる由縁ですが、さらに突進を阻止する為に「手桶隊」が冷水を浴びせます。揉み合いの摩擦を減らす役目にもなる冷水は、一気に湯気となって上空に舞い上がります。
鉄柵一杯に結ばれた紅白の布は、神事に参加できない老若男女の為の「儺追布(なおいぎれ)」。 - ”難を追い払う”の意味があり、はだか祭りの際は沿道や参道ではだか男(裸衆)から布をさいてもらう光景が見られるとの事。氏名や年齢等が記された「なおい布」は柵を埋め尽くし、幾重にも重ねられています。
参拝日:2011年4月25日