西尾市錦城町の一画、六万石の城下町の威容を今に伝える拠点として西尾のシンボル「西尾城」の一部を復元し、新たな歴史文化の発信地とした「西尾歴史公園」。
「西尾城郭覚書」によれば、承久の乱(1221)の戦功により三河国守護に任じられた『足利義氏』が築城した「西条城」が始まりと伝えられています。足利氏は『吉良氏』と名を改め統治しますが、戦国時代の常として牧野成定、酒井正親、田中吉政と城主が入れ代わり、これに従って城域も拡大しました。天正13年(1585)、家康の命により築かれた城が近世の西尾城の基礎となり、さらに田中氏の頃に三の丸が造営され城郭が確定されました。慶長6年(1601)に本多康俊が西尾二万石の藩主として入城、その後も松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と代わり、六万石の西尾藩となったのは、明和元年(1764)に『大給(おぎゅう)松平氏』が入城してのこと。やがて明治の廃城令を受けて廃藩となり城のほとんどが取り壊されてしまいました。
城郭図や1994年の発掘調査によって19968年に再建された「本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)」は、本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓で、城内の隅櫓のうち一番高い建物でした。三層、高さ約10メートルの木造本瓦葺、壁面上部は漆喰塗籠、腰部は下見板張りとなっています。
二之丸御殿に至る「鍮石門(ちゅうじゃくもん)」は、間口約9m、奥行き約5m、高さ約7m。その名前から、扉に真鍮(しんちゅう)が飾られていたと言われています。
散策の途次に現われる「本丸井戸」跡、そこには確かに多くの人たちが生きてきた証が残されています。
公園内に保存されていた尾張徳川家の「合印・○八」の天水鉢。
歴史公園内に再建された数寄屋風の「旧近衛邸」。こんな場所でまったりと寛いでいただくお茶は絶対に美味しい!
木陰に設けられた一枚岩の巨大な休憩所? いや・・・いくらご亭主殿が頑張っても数ミクロンも動きませんって(笑)・・って言うか何がしたかったのか今もって謎。
公園内に設置されていた「大名櫓型時計」。時計ですが、ボタンを押すと西尾城などの観光案内・音楽などが流れるとか・・でも多分この時は何も聞いていない・・(^^;)
『故:杉浦喜之助』氏のご遺志により多額の寄付を受け、昭和52年8月に西尾城姫丸跡に完成した「西尾市資料館」。
歴史公園に建立されていた『稲垣一郎』氏の銅像。西尾上町で茶園、製茶、販売を営み、西尾茶の宣伝に貢献した人物だそうです。
某所で見かけた西尾城大手門跡の碑と案内図
訪問日:2011年9月22日