美浜町小野浦福島に鎮座される「小野浦八幡神社」。御祭神は『大鷯命(仁徳天皇)、気長定姫命(神功皇后)』。
美浜町誌によれば「創建時期は不詳、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請されたので、若宮八幡社と言われていた。棟札に、元禄16年(1703)再建の記録が残る。」とあります。
鳥居を潜り石段参道を登って・・・
境内入口より神域を守護されるのは端正な顔立ちの狛犬さん一対。吽形さんには小さな角が有ります。
向かい合わせて並べると「寡黙だがどっしりと構えた吽形さん」と、「ちょっと小うるさいけど世話焼きな阿形さん」の図(笑)
二の鳥居と拝殿
吹き抜けの拝殿、後方左右に境内社。
本殿妻に「松鶴」の彫刻。
本殿蝦虹梁には「波と亀」
本殿後方に祀られる境内社、社名、御祭神共に不詳
神社の入り口近くに見かけた「岩吉・久吉・乙吉頌徳記念碑」。和訳聖書を初めて完成させたと言われている小野浦の千石船「宝順丸」の乗組員「音吉(乙吉)、久吉、岩吉」の功績を称え、昭和36年(1961年)に建立。
【にっぽん音吉漂流記 春名徹:著書より】 「福沢諭吉はシンガボールでの一夜、アヘン戦争や太平天国に関する中国の事情について、音吉からいろいろ教えられるところがあった。が、それにもかかわらず福沢の音吉に対するまなざしは冷ややかなものであった。福沢の方は、音吉の知識を摂取するには熱心であったものの、彼がそのように知識を得る代償としてほとんど日本人であることを放棄せねばならなかった、という事情については深く考えなかった。福沢に限らず遣欧使節一行の士分のものの目からは、音吉はしょせん「尾張の船子」という身分のちがう存在にしか過ぎなかったようである。」
三吉碑案内の下に祀られる御仏の像。時代の波に翻弄されながらも強く生き抜いた三人の船乗りたちを偲び、私たちは静かに手を合わせます。
参拝日:2011年9月25日