車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高家(たかべ)神社 in 千葉県南房総市(旧千倉町)

2019年05月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

南房総市千倉町南朝夷に鎮座される「高家(たかべ)神社」。御祭神は『磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)』『天照皇大神、稲荷大神』を合祀。

「高家神社」に例え、別名を『高倍神(たかべのかみ)』とも称し、「料理の祖神」として知られます。

由緒に【延喜式神名帳に記載される小社の一つ。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼる元和6年(1620年)。現在の宮司の祖先となる『高木吉右衛門』が桜の木の下から、木像と2面の御神鏡を発見し、それを神体として「神明社」として神社を創建した。その約200年後、この鏡に「御食津神、磐鹿六雁命」と書かれていることがわかり、これは所在が不明であった「高家神社」の神体であろうということで、文政2年(1819)、京都の吉田御所に届け出て証を願い、「神明社」から「高家神社」に改称した。】
拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、『神紙道官領:ト部朝臣良長』の銘が刻まれています。

平安時代の宮中行事として有名な「庖丁式」が執り行われる事でも知られ、境内には、それに縁の碑も建立されています。また、二つある包丁塚には、それぞれの流派の料理人の包丁が大切に供養され、納められています。
「庖丁式」を主催する流派に関しての詳細は知りませんが、この塚は「四條眞流会」の建立。 右の画像は「四條流石井派:鈴友調理師会」の建立。

烏帽子・直垂、あるいは狩衣を身にまとい、食材に直接手を触れず魚を切り分け並べる・・ と文字で書くと簡単そうですが、実際に動画など見ると、思わず呼吸を忘れてしまいそうな迫力。 右手の庖丁と、左手のまな箸だけで、魚一匹を切り分け並べ、食膳に供する・・
絵馬には、拝殿を背景に「包丁式」の様子が描かれており、十分に雰囲気を感じる事ができます。

左の碑は「日本料理研究会初代理事長」の『三宅孤軒』。右の碑は「割烹教育者連盟理事長『安東縣』の碑。

さらに、「料理とは別の命を頂く事」という前提のもと、それらの命に感謝を籠めた供養碑もありました。「いただきます」は、「命を頂きます」・・こんな当然の事さえ、押し付けだとか騒ぐバカフェミの存在、嘆かわしいったらありゃしない 😩 ボソッ

これは帰宅後に調べてもよく分からなかった碑で、左端に「味道不尽」の四文字が刻まれています。「味の道を究め尽くす等という事は無い」といった意味であろうと思うのですが・・・

社名も何も分からない小社ですが、社殿の向かって左、本殿を見下ろせるような位置に鎮座されていました。

こちらはおそらく「神輿庫」であろうと思われるのですが、それも額の文字からの推測。

神社にはもう一種、社殿と包丁塚、包丁式が描かれた絵馬があり、個人的にはとても気に入っています。 絵馬架けには、世界を目指す料理人たちの、熱い想いを籠めた絵馬が、ぎっしりと並んでいました。 名前も顔も知らない人たちの想いを目にし、思わず小声で「ガンバレ!」

ご祭神の『磐鹿六雁命』について、「日本書紀」の第十二代景行天皇の条にこう記されています。
【『景行天皇』が安房の浮島の宮を訪れた時、御供の『磐鹿六雁命』が、弓の弦をとって海で魚を釣り、さらに砂浜ではまぐりをとった。『磐鹿六雁命』はこの魚とはまぐりをなますにして天皇に差し上げると、天皇はたいそう喜びその料理の技を褒め称え、『磐鹿六雁命』は膳大伴部を賜った。これにより若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は皇室の食事を司るようになる】
参道にあった絵には、足元に蛤、両手に立派な魚と弓を持った『磐鹿六雁命』が描かれています。

参拝日:2019年3月7日

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御神名一口メモ

『磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)』、第8代孝元天皇・皇子の大彦命の孫で、比古伊那許志別命(大稲腰命)の子。また膳臣(かしわでのおみ、膳氏:のち高橋氏)の遠祖とされる。

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