車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

野島埼灯台~其の二 in 千葉県南房総市(旧白浜町)

2019年05月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

多分、南房総に来るのはこれが最期・・だからこの灯台も見納めだと思うとつい後ろ髪を引かれます。 きっと5年前も同じ事を思った筈だけど、流石に今回はお互いの年齢を考えると実感もひとしお。

名残を惜しみつつ遊歩道を進めば、5年前に見た同じ風景があり、懐かしさに、またより道😊  遊歩道の一画に手すり付きの参道が設けられており、入り口には「伝説の岩屋」の看板。
説明板には「野島崎に立ち寄った『源頼朝』が、突然の時雨にあい雨を凌いだ岩屋」とあります。 歴史的な人物が絡むと、その一挙止一投足に絡む全ての場所や物が、名所旧跡になるようです。

「頼朝公の隠れ岩」と称する場所には、深海に棲む創造の大蛸(おおだこ)の海神が祀られています。 海神の中央にある大鮑の殻に願いを掛けた賽銭を投げ、見事!貝の中に入れば開運間違いなし。 なぜならば「貝運は開運」への道の如し!と、何だか分かったような分からない様な説明😅
ちなみに真っ白に見える地面は、その「貝運は開運」を願って投げたお賽銭と思われる膨大な量の硬貨😲。

「三峯神社」の赤い鳥居の向こう、お社は「三峯山」と呼ばれる小高い丘の麓に祀られています。 奥秩父:三峰山山頂に祀られる「三峯神社」からの勧進でしょうが、山と海の両極端はちょっと不思議な感じ。

公園内の句碑は【水平線の 上に置きけり 残り苗】・・多分、合っていると思います。

野島崎灯台の碑の近くにあった「里見義実公上陸の地」碑。
【「南総里見八犬伝」で知られる戦国時代の大名、里見氏の初代里見義実公が結城の合戦に敗れて三浦半島からここ白浜の野島崎に上陸したのが嘉吉元年(1441)のことといわれています〔文安四年(1445)という説もあります〕。義実公は白浜に居城を構え安房の国を支配していた安西氏、神余氏、丸氏、東條氏の四豪族を打ち破って安房を統一し、房総里見氏の幕開けとなりました。】

遊歩道の出入り口近くにある、羽を広げた飛び魚のモニュメント、今日も勢いよく飛んでいます。 白浜漁協が21世紀に向けて全ての出発の成功を祈って建てた金属製の飛び魚。彼の名前は「かっとびくん」

五年ぶりの再会を祝して「さぁ、かっとびくん、あの雲の中の太陽を目指して飛んで行け」😍

白浜野島埼園地の入り口にあった看板、「万祝(まいわい)」を纏った漁師たちの後姿は、最高に素敵。 海に生きる男たちの後ろ姿は、何故か鼻の奥がつんとなるような、不思議な郷愁を誘います。 きっと、潮の匂いが染み込んだような背中に、早くに逝ってしまった父の姿が重なるからなのです。

「野島埼灯台」は日本の灯台50選に選ばれ、国の登録有形文化財にも登録されています。

この画像は、その日の夜に車泊させて頂いた小さな駐車場の一角から見えた野島埼灯台。 小雨の振る中、オレンジ色の街灯の中に浮かび上がる白亜の灯台は、本当に真っ白でした。

そして早朝の野島岬、白亜の灯台はやはり真っ白で、去り行く私たちを見送ってくれました。

訪問日:2014年5月24日&2019年3月6日

コメント
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