千葉県南房総市の野島崎に立つ、八角形・白亜の「野島埼灯台」。明治2年(1869)、日本最初の洋式灯台として、フランス人技師の設計によって造られました。
周辺一帯は、南房総国定公園に指定されており、遥か彼方まで、雄大な太平洋のパノラマが展開されています。
灯台って何か良いよね。特に日本地図の先端に立つ灯台は存在そのものがカッコいい!。だから可能な限り見に行きたい・・・でも山道は苦手😓・・この相反する希望に優しく応えてくれる「野島埼灯台」は、最初の訪問で大のお気に入りになり、今回二度目の訪問。
(抜けるような青空の下が2014年5月、今にも雨に降られそうな画像が2019年3月)
建設当初は、白色八角形の煉瓦造灯台でしたが、関東大震災により、地上6mの所で折れて倒壊。大正14年(1925)に、現在の白色八角塔形の、コンクリート造で再建され、今に至っています。
敷地内の一画に建立されていた「天皇・皇后両陛下行幸啓記念碑」。ちょっと残念だったのは、当時の行幸啓に関する資料が見つけられず、昭和の何年だったのか不明な事。
この美しい白亜の灯台、実は200円の観覧料金を支払えば、誰でも展望台に上る事が出来ます。展望台から見る眺望はまさに雄大の一言・・だそうですが、狭い螺旋階段を登る脚力はありません。 仮に登れたとして、あんな高い所から景色を見るなんて、あり得ない・・で、登ったら降りなきゃ行けないんでしょ? それって拷問ですよ😱
つまらない内輪話はさて置き😅 ここで「野島埼灯台」がたつ「野島岬」の歴史について、簡単に紹介。
元禄16年(1703)に発生した元禄大地震。震源は相模トラフの房総半島南端にあたる野島埼と推定されています。 地震によって大規模な地盤変動が起こり、特に南房総では海底平面が隆起し、段丘を形成した元禄段丘が分布。かって沖合の小島であった野島岬は、その地盤変動によって、地続きの岬に変貌したと云います。(他に、もともと陸続きであったが、地震の津波で地形が変わったという記録もあるようです。)
岬の海岸沿いを歩いていると、不思議な岩肌の浅瀬が続き、時折波がしぶきを上げていきます。
前回はこんなに裏側まで回る事はなかったのですが、方向が変わると灯台の雰囲気も随分と変わって見えるものです。
あわただしい鳥の鳴き声に目をやると、どうやら野鳥の番(つがい)が巣作りをしている場面に遭遇したみたい。 ピ~ッという甲高い鳴き声だったので、多分「トンビ」かなと思うのですが・・不確か😓
小高い丘状に設置された二つの碑、刻まれた文字は薄れていますが「燈臺用地」と読めます。 野島岬一帯は非常に重要な海路とされており、この西洋燈台も日本で二番目に点灯されています。
二つの碑が同じ文字だったのか確認は出来ませんでしたが、この地の重要さは感じられました。
裏道探索は際限なく先が続いているので、そろそろ人の気配がある方へと回れ右😊 「絶景 朝日と夕陽の見える岬」の碑がある場所から見る太平洋・・・実に雄大な景色です。 岩礁に突き当たった波は真っ白に泡立ち、そこが非常に危険な場所であることを知らしめています。
ちなみにこの絶景が見られる場所は・・😱、ベンチに座ってのんびりって誰が思いついたのか。 それでも、このどんよりとした海を見下ろし、何組かのカップルが代わる代わる座っていました。
かく言う私たちも、実は五年前にこの場所に座って、しっかりと記念写真を撮っていました😊 風がとても強く、それでなくても高所恐怖症の私が何故あんな無謀な行為をしたのか・・😱今もって謎です。
遊歩道には「最南端の碑」があり、傍らには現在地を示す日本地図が刻まれた石版もあります。 野島埼灯台を背景に「最南端の碑」と言うのは、ここに訪れたという記念写真としては最適なのでしょう。
観光客は入れ替わり立ち替わりに、「最南端の燈台」をデジカメやスマホに記録していきます。
まだまだ続く野島埼の紹介、続きは明日の「野島埼灯台~其の二」にて。
訪問日:2014年5月24日&2019年3月6日