車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

稲富(いなとみ)稲荷神社 in 岡山県笠岡市笠岡

2022年02月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

笠岡市笠岡、古城山の中腹に鎮座される「稲富(いなとみ)稲荷神社」。御祭神は『宇迦御魂(うかのみたま)神』

由緒「本神社の創建は弘治元年正月、村上隆重が古城山に築城し、城内の鎮守として勧請した。元禄十三年の御検地水帳に古城山稲荷社地の一畝六歩と山林一町一反八畝十五歩が除地となっている。宝暦六年から文化十三年にわたり、社殿工作物の寄進が全国に及んでいる。当神社は領主、代官はもとより、地方人一般の信仰が厚く、社運が隆盛であった。」岡山神社庁HPより

山陽本線の線路と、県道60号線の高架に挟まれた鳥居を潜った先に規模の大きな神橋があり、本殿へと至る石段参道が見えています。

参道石段前左右より神域を守護されるのは、天保9年(1838)建立の備前宮獅子一対。阿形製作者『森五兵衛正統』。備前市に鎮座される「宇佐八幡宮」に奉納された巨大な備前宮獅子の作者として知られる名工です。

吽形製作者『長谷川茂助正吉』。阿形・吽形ともに片足を膝においた姿勢をとっており、この姿は県内でもごく数例しか例のない珍しい姿勢。

顔立ちと言い、その姿と言い、まるで剛毅の武士の風情。こうして上から見ると、退く事のできない戦場の駆け引きに臨む武将のようで、何か別の世界に引き込まれそうな錯覚を覚えます。

と・・そんな緊迫した空気を突き破るように、電車が通過😅。

稲富宮が鎮座される境内までの石段は153段・・・ここから先は私の足では無理と御亭主殿からストップがかかり、単独参拝となりました。


長い石段。突き当りに見える明かりまでの距離が、とてつもなく長く感じたとはご亭主殿の感想。二の鳥居、三の鳥居、〆柱を超えた先が境内。

長い石段を登ってきた参拝者を出迎えてくれるのは「御先狐」

「寄進 干鰯仲買中石壇」亀趺(きふ)、と・・私たちは思っていたのですが、同じ笠岡市内にある某神社にこれと全く同じ台座が有り、それには「虬(みづち)像」とあります。

「虬(みづち)」、「み=水」・「つ=の」・「ち=霊物」の意で、水中にすみ、蛇に似て、角や四足をそなえ、毒気を吐いて人を害すると云い、古代より人々から恐れられていたとか。さてこれがなのかなのか・・・・読者様の判断に委ねます。

「稲富宮」の名称はまさに字の通り「富が溢れ豊饒を祈る」信者の願望を表しています。笠岡市指定重要文化財でもある社殿に施された精緻で鮮やかな彫刻の数々。近郷には例がないと言われる鮮やかさも、求める富の象徴に思えます。

うっすらとした明りの本殿、扉の左右より稲荷のお使いである白狐神が神域を守護されています。

屋根の上に鎮座する御先狐は、なんとも愛嬌のある顔立ちで神域を静かに見守っています。長く伸びた尾の先の宝珠が微妙にツボ😄

「境内社:稲荷宮」「境内別社:花津女稲荷・五社稲荷・高倉稲荷」

稲荷宮の神狐

さて、ご亭主殿が参拝の間、私と義姉はこの手水舎の付近から離れずに待機。ちなみに手水舎の側面、懸魚から下には非常に綺麗に彩色された立派な彫刻が施されています。

玉垣も、奉納された二基の手水鉢にもそれぞれに寄進者の名前が刻まれており、往時の隆盛を垣間見る事が出来ます。

手水舎に向かい合うように奉納されていた「恵比寿社」。稲富宮と関連があるのか無関係なのか? 祠の内には、巨大な鯛を肩に担いで満面の笑みを浮かべる恵比寿様。絶対に御利益ありそう😆

参拝日:2010年5月5日

コメント
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