堺市美原区黒山にある「黒姫山(くろひめやま)古墳」。百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間に位置し、全長114メートル、前方部幅65メートル、前方部高さ11.6メートル、後円部径64メートル、後円部高さ11メートルの二段築成の前方後円墳。と言っても、実は全くピンと来ていない考古学音痴(^^;)
説明のように真上から見れば「ああ、なるほど」と思えるかもしれないし、幾つか見て来た天皇陵のように整備されていれば、それだけで古墳だと理解できるのでしょうが・・何しろ無知なもので(笑)
現地案内によれば「石室の中からは24領の甲冑をはじめ、大量の鉄製武具や武器が出土。これらの調査により、黒姫山古墳は古墳時代中期(5世紀中頃)にこの地域で勢力を誇っていた『丹比(たじひ)氏』によって築造されたと考えられている。」
「石室復元模型」の現地説明版。後方に見えている高架は「阪和自動車道」。
遠目で見るとこんな感じで、左右には出土した埴輪の列を再現。中央の四角く窪んだ場所に、復元された石室が納められています。
一帯は1989年~1992年にかけて「史跡黒姫山古墳歴史の広場」として整備。古墳の東側には前方部の竪穴式石室と墳丘上段部の埴輪列の一部が実物大で復元展示されており、また、前方部の一部には円筒埴輪列も復元されています。
石室内には復元した甲冑類が納められているらしく、その様子を写した画像なども見ましたが、私たちが訪問したのは5時半近く・・多分、時間的にタイムアウトだったのでしょう。内部を見る事は出来ませんでした。
茜色に染まり始めた空の色に急かされての訪問。毎度毎度の事ですが、もう少し余裕をもって来ないと結局中途半端に終わってしまうのです。行く先を決めた時点ではいつも念頭に置いている筈なのですが・・ついつい脇道に目がいく性格は・・もはや手の施しようがありません(笑)
黒姫山古墳は、昭和32年(1957)に国史跡に指定されています。
訪問日:2015年10月9日
ありがとうございます。
>もう少し余裕をもって来ないと結局中途半端に終わってしまうのです。
なんか、まさにわたしのこと😅
時間の使い方がダメでした。
>ついつい脇道に目がいく性格は・・
tibinekoさんもそうなのですね😊
取捨選択が難しいですよね〜〜。
脇道にも花があって、見るべきものも・・ありますよねー。
でも、メインがおろそかになってもいけないですし・・・。😓
あ、ついでにおしゃべりしていいですか。
締切落としておいてなんですが、
安倍さんの写真展、行きました。
そんなことしてるから締切落とすのかもしれないですが
(でも「仕事」じゃないですから、お金のご迷惑はかけてないです)
tibinekoさんが、近郊だったらぜったい時間作っていく、と仰っていて、行くことに決めました。
ずっとやってるわけではないし、
・・安倍さんのこうした催しも、ひょっとして今年限りかもしれないと思いまして。
tibinekoさんにぜひ見せてあげたかったです。
場内の写真は、写真だけの撮影は遠慮してくれ、
とのことでしたが、場内の撮影は可、だったんですよ!!
なので、斜めからいっぱい撮りました。
(正面から撮ってる人もちらほらいましたが😓)
いろいろ考えて、noteってブログに似た投稿サイトに出せばtibinekoさんにお見せできるかな、と思ったのですが、
とーにかく、毎月まいつき、作品書くことで
時間と心の余裕がなさすぎる・・・。
他にもやりたいことあるんですけど
(ウクライナの冬の支援の寄付とか、「歌ってみた」シリーズ、あと2つやりたいことあるし)
とにかく、時間の使い方が下手だなーと猛反省です、なにか取捨選択しないと・・。
tibinekoさんのような考え深い人に、
今回の作品、ぜひお届けしたいです。
あーでも長すぎるかな、
なんかその辺りの気疲れでめげてしまった面もあって…。
真っ先にご心配コメント、ほんとに心温まりました🙏
お元気に過ごしてくださいね。
またの記事を楽しみにしています😊
私はそんな「まかろんさん」から
いつもいつも元気をもらっています🙏
作品、出来上がったら絶対に教えてくださいね!!
今からワクワクして待ってます(⌒∇⌒)
あっ・・・でも決して急かしてる訳じゃないです(^^;)
写真展、行かれたんですね。
きっと色んな想いが溢れただろうと思います。
でもそこに来られた方は、皆さん、
安倍さんを信頼し、敬愛される方達だと思うと、
本当に心が温かくなります。
そして・・その中に真っ直ぐに前を見る「まかろんさん」の姿を想像し・・・
鼻の奥がツ~~~ンと(;_;)
年を重ねると、どうも涙もろくていけません(笑)
今日は一際、寒さが厳しい様です
温かくしてお過ごしくださいね(*^^*)