大阪府富田林市役所前に「楠氏遺跡里程標」を見かけて、思わず二度見・・・こんなものが有った事を今まで気づかなかった筈がないのに?・・。気になって調べたら、以前は富田林駅前にあったとの事。何があってこちらに移されたのか不明ですが、おかげで画像に残せました。
富田林市大字甘南備に門を構える臨済宗妙心寺派の寺院「峰條山:楠妣庵(なんびあん) 観音寺」。『千手観音菩薩』を本尊とします。
「楠木正行が、延元4年:暦応2年(1339)に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する一殿を建立したのが起源とされる。」Wikipediaより
四條畷の戦いで正行とその弟正時が討死にした後、久子夫人は生まれ育った甘南備に隠棲し『敗鏡尼(はいきょうに)』を名乗り、楠妣庵を建てて愛する者、縁の人々の菩提を弔いながら16年間の余生をこの地で過ごしました。久子夫人の入寂後、正行の弟楠木正儀(まさのり)は、不二房行者を住持させて、観音堂改め観音寺とし、楠木一族の香華寺としました。その後、足利方に攻められ、観音寺・楠妣庵ともに兵火によって焼失。大正6年(1917)に楠妣庵が再興し、次いで観音寺も再建。本堂には楠公夫人と楠家一族の位牌が安置され、正面には「非理法権天」の額。両の柱には『明治天皇』が正成公に贈った言葉「千載之一人臣子之亀鑑(まことにせんざいのいちにん しんしのきかんにそうろう)」が刻まれています。
楠妣庵に行くには表参道と裏参道の二つがあり、たまたまですが、私たちは裏参道からの参拝となりました。揃いの赤前垂れに赤いお帽子姿の六地蔵様に出迎えられて参道へ。
参道途中には、坂道に沿って建てられた覆い屋があり、傍らには「楠公夫人常用井井」の碑。久子夫人はここから湧く水を使用していたと言われ、今もそこからは綺麗な清水が湧いています。
納経所で拝観の受付を済ませ境内へ。小堂は大正6年5月(1917)、帝国芸術院会員伊東忠太博士の設計で建立された「観音堂 」。久子夫人の念持仏である『十一面観音』が祀られています。
久子夫人が隠棲したと伝えられる「楠妣庵」。同じく伊東忠太博士の設計により鎌倉時代末期の建築様式で復元。建物の内を見ることは出来ませんが、かって東宮であられた昭和天皇が行啓され、その際にクスノキをお手植えされています。
程よく苔に覆われ始めた一画、画像では見えませんが久子夫人の墓と伝えられる小さな五輪塔が建立されています。揺らめく香華の向こうに見えるものは、緑に抱かれた赤い土の道。
「石造七層塔」
楠公夫人六百年祭の折、山梨県恵林寺塔頭青松軒の山門を移築した栗材:四脚門の山門。昭和39年の建立。こちらが正式な表門と言う事で、このまま下まで。
石段参道の下に「楠公夫人と正行の像」。父:正成公の御首が観心寺の中院に戻ってきた時、正行は父の遺品の小刀をもって自刃しようとします。それを察した母は「父の遺訓に背いてはならぬ・・生きて忠を尽くすのです」と諭します。
見上げる石段の先には「後醍醐天皇の隠岐より還幸を兵庫にて奉迎せし楠公の像」。その表情は喜びに満ちています。
境内の一画にあった句碑
参拝日:2008年6月7日
楠公の史跡を訪ねる旅で外せない場所がもう一箇所・・正成公が赴いた死地「湊川」です。楠木正成は、延元元年(1336)5月25日、湊川の地で足利尊氏と戦い殉節しました。謀反人とされた正成の墓は長らく荒廃していましたが、元禄5年(1692)に『徳川光圀』によって【嗚呼忠臣楠子之墓】の石碑が建立されます。以来、水戸学者らによって理想の勤皇家として崇敬された楠公、維新の後には、明治天皇・大正天皇・昭和天皇による行啓もなされました。いつかは必ず参拝をと思いながら、その地に降り立てないまま時が過ぎてしまいました。
は、激しいですね・・。
私もやっぱり戦のない戦後の生まれなので、
正直言って、自分が戦えるか自信がありません。
昔の人は有史以来、当たり前に戦ってきた。
つい戦前まで当たり前だったのですよね。
先日、新聞を読んでいたら、
降伏後に北海道にロシア軍が攻め入ってきたときの
ことを書いた記事がありました。
駐屯されていた日本軍の兵隊さんたちは、
一瞬の躊躇もなく戦ったとか。
この気概が、日本に、そして自分に欲しいと思います。
今日のお知らせですが、
石垣島に、陸上自衛隊の駐屯地が新設されたそうです。
南西地域の防衛強化です。
日本がここまで本気の姿勢を示したことに、
驚いています。
tibinekoさんが喜ぶニュースだったことを願います。
どうぞ明日も良い日をお過ごしください😊
それが戦う事の意味だったのではと思います。
それは先祖伝来の土地であったり
大切な主君であったり
自分が信じる義であったり・・
国であったり家族であったり
今、命を懸けてでも守りたいものが有るのかと自問した時
多分・・答えられないと思います。
でも、それでも私の大切な人に危害が及ぶとき
指を咥えて泣いて見てるだけなんて
きっと出来ないだろうと思います。
大層な覚悟など、普通に生きていれば一生縁のないモノ
それが実はどんなに幸せな事か・・
上手くは言えませんが、先人たちに感謝せずにはおられません。
命を賭してこの国を護ろうとした方々の
その気概が欲しいとおっしゃるまかろんさん
その気持ちはきっと大きな力になると思います。
石垣島に陸自の駐屯地が出来たこと
かの国や、kの国には片腹痛いのでは
出来れば尖閣にも竹島にも駐屯地を作って欲しいですね(^-^)