津山市(つやまし)は中国地方東部、岡山県北東部に位置する市です。2005年2月28日、苫田郡加茂町・阿波村、勝田郡勝北町、久米郡久米町を編入。真庭市、苫田郡鏡野町、勝田郡勝央町、奈義町、久米郡美咲町に。また県を跨いで鳥取県鳥取市、八頭郡智頭町に隣接。北部・西部を中国山地、東部を美作台地、南部を吉備高原に囲まれた津山盆地を形成し、かつては県北の雄都と呼ばれ、美作地方および津山都市圏・中国山地の中心都市として発展してきました。「市の木:クス」「市の花:サクラ・サツキ」を制定。
キャッチフレーズは「笑顔あふれる ふるさと津山」
明治4年7月14日(1871年8月29日)、 廃藩置県により津山県の県庁所在地となり、明治9年(1876)に 岡山県に編入。
明治22年(1889)、町村制の施行により、西北条郡津山町・林田村・院庄村・西苫田村・二宮村・久米南条郡福岡村・佐良山村・一宮村が発足。
東南条郡東苫田村・田邑村・高田村・神庭村・高倉村・高野村・東一宮村、勝南郡河辺村・大崎村、勝北郡広野村・滝尾村が発足。
1900年、郡制の施行により、東南条郡、東北条郡、西西条郡、西北条郡が合併、苫田郡となる。久米南条郡、久米北条郡が合併、久米郡となる。勝南郡、勝北郡が合併、勝田郡となる。
1923年、苫田郡林田村が町制を施行、改称し苫田郡津山東町となる。
1929年、苫田郡津山町・津山東町・西苫田村・二宮村・院庄村、久米郡福岡村が合併、市制を施行し津山市が発足。
1941年、津山市が苫田郡東苫田村、久米郡佐良山村を編入。
1951年、苫田郡一宮村と東一宮村が合併、新たに一宮村となる。
1954年、津山市が、苫田郡田邑村・一宮村・高田村・神庭村・高倉村・高野村、勝田郡河辺村・大崎村・広野村・滝尾村を編入。
マンホールには津山城址と「作州津山」の旗指物を肩にする「ごんご」がデザインされています。
倉敷マンホールサミット展示
津山市観光PRマスコットキャラクターは、吉井川に棲む「ごんご」の『活波鶴丸(かっぱつるまる)・さくら姫』。津山市の素敵なところや美味しいものをPRしています。
旧加茂町域の集落排水事業所の門で見つけた『活波鶴丸』。桜姫はまだ誕生していなかったのか、綺麗な桜の絵😊
「ごんご」は津山地方の方言で「かっぱ」の事。ごんご通りの商店街には、沢山のブロンズ「ごんご」が住み着いています。キューリを手にしてご満悦な「ごんごの鶴太郎」。その気になって探せば上にも下にもお店のウインドウにも・・・😁
中国自動車道:勝央SA記念スタンプ「津山ごんごまつり:ごんちゃん」
撮影日:2008年8月16日&2015年4月24日&2019年12月15日
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2019年12月14日、第11弾として全国61自治体で種類(累計自治体種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「津山市」のマンホールカードは、「津山観光センター」でいただけます。
1989年に設置開始されたマンホールには「津山城」と「ごんご(河童)」がデザインされています。
「デザインのモチーフとなっているのは津山城とごんご(津山の方言で河童のこと)です。 津山城は津山藩初代藩主・森忠政が1616年(元和2)に鶴山(つるやま)に完成させた平山城です。 明治の廃城令で建造物は取り壊されましたが、2005年には「備中櫓(びっちゅうやぐら)が復元され、現在では鶴山公園(かくざんこうえん)として西日本有数の桜の名所となっています。 また、市内を流れる吉井川(よしいがわ)には河童が生息していたという言い伝えが残っており、夏の時期にはごんごの名を冠した「津山の納涼ごんごまつり」が開催されるなど、市民に親しまれる存在となっています。」
津山観光センターの「ごんご」
訪問日:2019年12月14日
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