羽曳野市誉田、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の南に隣接して鎮座される「誉田(こんだ)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・仲哀天皇』。
社伝によると「欽明天皇20年(559)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としており、最古の八幡宮を称している。この地は応神天皇陵がある地であるが、応神天皇が幼少の頃に居住されていたところでもあり、また、皇后の仲津姫はこの地を治める誉田真若王の娘でもあり、応神天皇にとって特別なゆかりのある地である。奈良時代には行基によって神宮寺の長野山護国寺も創建された。」Wikipediaより
「東面する拝殿は入母屋本瓦葺で間口十一間、奥行三間の細長い木造建築でいわゆる割拝殿の形式であって正面中央部を拝所とし向拝(ごはい)部分は、唐破風造りで蛇腹天井となっている。 この建物は、慶長十一年(1606)に豊臣秀頼が普請奉行に片桐且元を任じて再建させたものであるが、完成直前に大阪の役(冬の陣、夏の陣)が勃発したため八割方でき上がったまま放置されていた。その後、徳川家光が再建工事を続行して寛永年間の初期に竣工したものと考えられており、三ツ葉葵の定紋が付けられている。」公式HPより
拝殿に至る参道の途中より神域を守護されるのは、平成生まれのいかつい系の狛犬さん一対。特にお小さい子さまには吽形さんの顔は怖いかも。
朝一番で頂いた御朱印を手に
割拝殿挙鼻の彫刻は「司馬温公:瓶割の図 」。上の柱に半円の物が見えるのですが、わかるでしょうか? その正体は・・・
「獅子咬・獅噛み(ししがみ・しがみ)」。寺社の彫刻では意外とオーソドックスですが、こんな風にしっかり見える位置にあるのは少ない為、拝殿前で思わず拳をグッと(笑)。嵌めこまれた銅眼がいっそうの迫力で参拝者を迎えてくれます。
銅眼といえば、貫から参拝者を見下ろす阿吽の龍。銅の髭が更に迫力を添えて見上げる者を圧倒します。
「当宗(まさむね)神社」。御祭神は『素戔嗚命 』。式内社で、旧社格は無格社。元々は誉田八幡宮より東100mほど先にある当宗垣内という場所に鎮座されていましたが、明治40年(1907)11月16日に当社境内に遷座されました。
「恵比寿社」
「姫待稲荷社」
「石造多宝塔(三重塔)」
「誉田八幡宮」の境内紹介、もう少し続きます。
参拝日:2015年10月10日
こういう古さの神社が現役であることに感激します。
昨日の返信、ありがとうございました。
tibinekoさんのお考えはどれも、
とても気持ちが良いものに感じました。
今の世の中で天皇家のことを、こんなに真剣に
愛してらっしゃる方がいるのか、と。
日本を愛するということは、天皇家を愛することです。
天皇家を愛するということは、日本を愛するということです。
皇家ウォッチャーの、
細かい揚げ足取りはいただけないと思いますが・・。
自国を愛している人は、自国に寄りかかりながら文句を言っている人より、はるかに美しいです。
どうぞこれからも、思うことを存分にお話くださいね😊
明日も良い日をお過ごしください🌸
段ボールで囲っていた花たちを外に出し
少しずつ春への準備を始めています。
まかろんさんの文字を追っていると
ちょっとハスキーな声で再現されて
(安倍さんの追悼歌の声)
それがとても心地よく感じられます。
明日も素敵な一日になりますように(^^)
神社の守護をされる一対の狛犬さんのように、tononekoさんとtibinekoさんがペアーであるということを、昨日発見いたしました。
多分、友人以外で気が付かれたのは
onecat様だけだと思います。
今更ですが・・照れますね (〃∇〃)