朝来市山東町粟鹿に鎮座される「粟鹿(あわが)神社」。式内社(名神大社)で但馬国一宮。御祭神は『天美佐利命(あめのみさりのみこと)・日子坐王命(ひこいますおおきみのみこと)・日子穂穂手見尊(ひこほほでみのみこと)』
御神紋は「抱き茗荷」
『阿波奈岐尊(あはなぎのみこと)・伊弉奈岐尊・天照大日孁尊・籠神(このかみ)・鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・月讀尊・素盞嗚尊・豊玉姫尊』を配祀。
創祀年代は不詳。「一説には、崇神天皇の御代、粟鹿山の麓に創立されたといい、また、景行天皇十二年、天皇が筑紫の熊襲を征圧した時に勅して天皇の祖を祀ったとも。神功皇后三韓征伐の際に神助ありて凱旋後に奉幣使を立てたという。天正九年(737)の「但馬国正税帳」にも「朝来郡粟鹿神戸祖代六十六束二把」とある古社。粟鹿の名は、昔、粟鹿山の洞穴に住む一頭の鹿が、粟三束をくわえ、村に現われ、人々に農耕を教えたという。その鹿を祀ったのが、当社であるという。」
約600年前に建てられた市指定文化財「勅使門」。本柱間の両開きの唐戸には透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれています。
「日の出門」と称される隋神門。
「粟鹿神社木造著色随身倚像:一対二体」。江戸時代初期頃の作。寄木造による彫刻で、2011年3月16日・朝来市指定有形文化財に指定。
「粟鹿神社木造著色狛犬像:一対二体」。江戸時代頃の作で、寄木造による彫刻。吽形像は角を有する。2011年3月16日・朝来市指定有形文化財に指定。・・・阿吽ともにものすごい迫力、お日様の下でなければ見る自信がありません(^^;)
拝殿
拝殿前より神域を守護されるのは、昭和9年(1934)1月3日建立の出雲丹後狛犬さん一対。呉市の石工『白井三次』氏の刻。
阿形さんの前足の間にすっぽりと収まる仔狛。きかん気そうな顔で参拝者を見つめ返してくれます。
綺麗に整えられた土俵。奉納相撲があるのでしょうか?
社務所に展示されていた全国一宮の絵馬。これだけの絵馬を奉納されると言うのも凄いですし、それを見る機会を得た私たちは実に幸運でした。
境内には他にも沢山の摂社・境内社が鎮座されていましたが、時間的な制約に急かされて、本社のみの参拝で終わってしまいました。
参拝日:2014年11月20日
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御神名一口メモ
『天美佐利命(あめのみさりのみこと)』、『大国主命』と『天止牟移比賣(あめのとむいひめ)』の子供。
『日子坐王命(ひこいますおおきみのみこと)』、『崇神天皇』の弟、『丹波道主命(たにはみちぬしのみこと)』の父。
『阿波奈岐尊(あはなぎのみこと)』、黄泉国へ赴むいた伊弉諾尊は阿波岐原(宮崎市)で禊ぎを行っている。この事と関連があるのかもしれないが詳細は不明。
神様の事情は良く分かりませんが(笑)、そこには当然その地域に君臨した先人たちの歴史的事情もあったと思います。
そう考えていくと、地元にだけ伝え残された歴史は奥が深く、想像が膨らみます😊
もともと狩猟を生業としていたであろう当地に農耕を伝えたこのシカこそが当地創成期の支配者、たぶん農耕技術を持つ他所からの侵略者なんでしょうね?
その後崇神や景行の名が登場するということは三輪王朝期にヤマト政権に服し、本来の支配者であるシカの子孫も歴史に埋没してしまったのでは?などと妄想してしまいます。
うだるような暑さの中の一服の清涼剤となれたなら、これ以上の嬉しさはありません。
どうぞonecat様もお体第一にお過ごしくださいませ。
崇神天皇、景行天皇、神功皇后の名前がでてきますと、渡部氏の著書を思い出します。
寄木づくりの二体の彫刻の古さ、荒々しい狛犬の古びた様子といい、威厳さえ感じさせられます。
由緒のあるこう言う神社が、今も息を潜めるようにして、日本のあちこちにあるのですね。貴重な映像を拝見させていただき、私も元気を取り戻します。
暑さが続きます。ご自愛専一に・・