旧朝来郡山東町(さんとうちょう)は兵庫県の北東部に位置した町です。丹波市、生野町、和田山町、朝来町、県を跨いで東は京都府夜久野町と隣接。
町の中央部で山陰地方と丹波地方への街道が交わり、古くは山陰道の宿場町として栄えてきました。迫間の古墳からは金環や勾玉、柿坪の中山古墳からは、土器や鉄剣などが出土しており、古代勢力がこの地に存在したことを伺わせます。「町の木:木犀」「町の花:菊」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により朝来郡梁瀬村・粟鹿村・与布土村が発足。
1926年、梁瀬村が町制を施行し、朝来郡梁瀬町となる。
1954年、朝来郡梁瀬町・粟鹿村・与布土村が合併、朝来郡山東町が発足。
2005年、朝来郡生野町・朝来町・和田山町と合併、朝来市となりました。
マンホールには左上に町章、「町の木:モクセイ」「町の花:菊」の間に「鹿」がデザインされています
昭和29年9月8日制定の町章は「中央の三角形は「山」を表し、左半分は「と」・右半分は「う」を図案化したものです」
「山東町和賀未歳」地区
「山東町矢名瀬磯部」地区
CCBマンホール
撮影日:2011年3月31日&2014年11月16日
実はこの与布土ダム、完成直後にダムに通じる道路が災害で通行止め。
一昨年道路は開通しましたが、未だ到達できてないダムの一つのため逆に印象に強く残っています。
自治体名や行政区名では場所のイメージができないけど、ダムの名前を聞いたら位置がわかる…
我ながらダム沼にずっぽりとはまり込んでいるのを自覚してしまいます。
ダムでどの辺りかが分かるというのも凄いです。
私の場合、実地に見たものであれば、マンホールのデザインで、大体どこかは分かりますが、点在しているので場所の特定はできません(笑)
色々なことを知り、珍しい経験をし、その上で「自己紹介」を読みますと、別の光と色が浮かんできて、感動せずにおれません。
生きている限り、明るく、頑張りましょう。
その優しい言葉に、ただ感謝です。
生きている限り、生かされている限り
tononeko殿との二人三脚、頑張ります