土佐神社楼門近くに置かれた社号標は、土佐神社付近にあった「一宮古墳群二号墳石室」の、天井石五枚のうちの一枚。同じく三枚が楼門前の橋に使われました。
境内入り口に立つ「楼門(国重要文化財)」は「神光門」とも称され、寛永8年(1631)に「山内忠義」によって造営。
楼門左右の内陣には、鮮やかに色彩が施された随身が、神域の警護に当たられています。
右奥に見えるのが幣殿、手前に見えるのが拝殿左翼殿・・かなり複雑な社殿の位置。
社殿の右手に位置する「神饌所」。右手奥の土佐漆喰の壁に水切り瓦の建物は「神庫」。これは正面からの画像が欲しかったなと後で後悔。
絵間には、土佐三大祭の1つとして知られる例祭「志那禰祭(しなねまつり)」の「お松明」と神の船遊びと称される「神輿渡御」の様子が描かれています。
「輪抜祓所」の後方、聳える杉の御神木の下には、注連縄の結界に守られて鎮座される「礫石(つぶていし)」。
畳二畳程の 自然石は、往古「土左大神」が、自らの鎮座地を定めるにあたり投げた石と伝えられており、古くはこの礫石を磐座として祭祀が行われていたと云われています。
かって禊の斎場であったしなね川に祀られていた「禊岩」。1999年の河川工事のため、現在は境内東方の神苑に祀られています。
志那祢の森を進んだ先に鎮座される「境内社:巌島神社」。御祭神は『市寸嶋姫命・多紀理比賣命・多岐都比賣命』。神前の神橋は「悠仁(ひさひと)親王殿下」御誕生を寿いで奉納されたもの。
緑の中に鎮座される「神明宮」。御祭神は「天照皇大御神・豊受大御神」。古くは伊勢神宮遥拝所であったといわれています。
鳥居脇に鎮座される「秋葉神社」。御祭神は『火之迦具土神』。
神光門から境内まで真北に真っ直ぐ約300m程続く参道は、室町時代に造られたもので、進むに従って社殿が高く見えるように掘り下げられたそうです。神光門から鳥居まで真南に真っ直ぐ・・・二度目の土佐神社を後にしました。
参拝日:2013年3月25日&2018年6月16日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます