神崎町並木にある真言宗智山派寺院「妙法山:神宮寺」。『阿弥陀如来・十一面観音』を本尊とします。
「阿彌陀如来第四十七番」と刻まれた石柱は、宝暦四年(1754)に建立されたもの。側面には「南無遍照金剛第四番神宮寺」とあります。二つの札所番号があるのは、それぞれのご本尊に対してのものでしょうか。
古くより「並木観音」と称され、「神埼神社」の別当寺として創建された「神宮寺」。 近世には四国八十八ヶ所を移した第九番札所として、近郷庶民の信仰を集めたと云われます。
【朱塗りの仁王門は江戸時代中期の建立で、間口十尺足らずの四脚門で木割が細く屋根は切妻造りになっています。本柱や冠木の形式が通常の四脚門とは違っており、また藁座を蹴放しから造り出しとする珍しい造りとなっています。】境内説明より
仁王門の両内陣には、経年に寄る傷みは有りますが、朱塗りの仁王像が境内を守護されています。下から見上げてしまったので、凄みではなく太みになってしまいました😔
寺伝によれば、『空海』がこの地を訪れ阿弥陀三尊を安置し、『円仁』が庵を結んだと云われますが、それ以上の詳細はわかりません。元禄10年(1697)に造営された「観音堂」は神崎町指定文化財に、本尊は県指定の文化財となっています。
扁額の「大悲閣」は、「観世音菩薩像」をまつってあるお堂、もしくは観音堂の事を指すそうで、寺巡りが増え始めたとき知りました。
御詠歌【ふだらくや 並木にひびく岸の音 迷いの夢を さますこの寺】
御本尊のお姿を見る事はできませんが、奉納絵馬には美しい「観世音菩薩」が描かれています。
参道石段の中ほどに祀られる小さなお堂は「子安堂」・「文化十一(1814)甲戌」と記されています。 お堂の内陣には、膝の上に幼児を抱く慈母の『子安観音石像』が奉祭されています。
「子安堂」の隣には「地蔵堂」が祀られ、内には『地蔵菩薩石像』が奉祭されています。
観音堂の境内には、おだやかな姿の観音像や石仏群が、淡い緑の芝生の上で寛いでいます。
参拝を終えてもと来た道を引き返す途中、柵に囲まれた「並木の大梛(なぎ)」と呼ばれる木を見つけました。傍らの石碑には、明治四十年(1907)建立、「普門品供養塔」と刻まれています。
入り口付近に建立されていた碑は、偶然見つけた芭蕉句碑。全くの予想外で、嬉しさもひとしお。【刈可けし田つらの能鶴やさとの秋】貞亨四年(1687)芭蕉四十四歳
参拝日:2019年3月16日
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