城下町津山の東側に位置する旧出雲街道に面した「城東町並み保存地区」。なまこ壁や袖壁、虫籠(むしこ)窓など、当時の面影をそのまま残した建物が連なる様子は、まるで時代劇の世界にタイムスリップした錯覚を味合わせてくれます。
宮川大橋の西詰め角にある「東大番所跡」。津山藩では城下を貫通する出雲街道の東西の2ヶ所の入口にそれぞれ大番所を設置し、番兵を常駐させていました。(西大番所は宮脇町の翁橋東詰におかれていました。)
町並みのそこかしこに見受けられる情緒ある建物。こちらのお宅では鮮やかな色漆喰の袖壁に幅広くとられた虫籠窓が目を引きます。
城下町津山で親しまれてきた老舗和菓子店「御菓子・京衛門」。昭和10年創業の店舗には次々と車が出入りし、沢山の人がお気に入りの和菓子を買い求めていきます。
「西美濃屋小路」。美濃屋弥次郎の商家屋敷があったことから名付けられた小路ですが、美濃屋が何を商なっていたかは不明。
「河野美術館」。明治33年(1900)に開業した旧医院を改装し、2002年にオープンした『河野磐氏』の私設美術館。旧医院は大正時代の建物で、非常に貴重な建築物の一つ。
杉玉の下がるお宅は、宝暦8年(1758)創業の「苅田酒造」。代表銘柄の「諸白」は江戸時代に書かれた「本朝食艦」の一説からとられたといわれ、250余年にわたって伝えられた伝統のお酒です。
津山城下町最大の町家建築で市重要文化財「苅田家住宅と酒造場」は、2013年12月、津山市に寄付されたそうです。
「作州城東屋敷」は、江戸時代の町家を復元した無料休憩所。ここは映画・男はつらいよシリーズ最終作「寅次郎紅の花」のロケ地として使われたそうです。
白壁の建物は消防車用の車庫でしょうか? 高くそびえる火の見櫓が目をひく一画。映画の中では ここで寅さんとポンシュウが消火器のバイ(露店のようなもの)をします。
作州城東屋敷の裏手にある「だんじり展示館」では、津山市内にある岡山県指定有形民族文化財のだんじり28台のうち、城東地区の4台が展示されています。
国指定史跡『箕作阮甫(みつくりげんぽ)』旧宅。幕末に活躍した洋学者:箕作阮甫の生まれ育った家で、当時の町家がそのままの雰囲気で解体復元されています。
「旧梶村家」は今から310年前の元禄時代に建てられた町家。梶村家は、『茂藤籐右衛門』が明治4年(1767)に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていました。
津山の代表的商家であった旧梶村家住宅。増改築を繰り返したことから江戸後期~昭和初期のさまざまな年代に建てられた建物が混在します。主屋は江戸時代の終わり、西側の部屋は明治時代、北側の2階建ては、洋館も含め、大正時代、また蔵の一つは昭和時代と、それぞれに興味深い表情を見せてくれます。
明治・大正・昭和初期・・商家の暮らしぶりを伺うことができる変化に富んだ町家は、「城東むかし町家」として一般公開されています。
藍染絞りが美しい暖簾は、町家を活用したフランス料理店「シエラ」。歴史ある日本の町屋で、洋風の代表とも言えるフランス料理を食する・・ちょっとお洒落だと思いませんか?・・ただし私、フランス料理苦手‥と言うか全くダメ!😣
出雲街道沿いに商家町として発展した「城東重要伝統的建造物群保存地区」。ですが、私たちがここを訪問した2008年当時は、たんに「城東町並保存地区」と言うことで、県と市によって保存活動がなされているだけでした。では価値が無かったのか??、否!決してそうではなく、街道沿いの270棟の家屋のうち、約160棟、すなわち6割以上が、近世以降の伝統的建造物だったのです。では何故・・・・? それは国の選定を受けて文化財と認定されると、様々な制約が生まれてしまい、その為、地区の住民の8割が、文化財保護法による制約下での保存を望まなかったのです。
「重要伝統的建造物群保存地区」を歩いていて見かける、指定登録文化財の建物。見る分には素晴らしい建物も、実際に暮らすとなると・・誰だって便利で快適な住いを望むのではないでしょうか。
この訪問から5年を経た2013年、城東地区は国から「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。なので、この当時の町並みは、もしかしたら随分様変わりをしているかもしれません。
訪問日:2008年8月16日
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