東金市東金、最福寺の裏山にある「山王台公園」に、「東方伝説発祥の地」と刻まれた小振りの碑があります。
その昔「山王台公園」周辺は、「辺田方(へたかた)」と呼ばれた地域であったといいます。 「辺田(へた)」や「方」は、「果て・端」を意味しており、ゆえにこの地は東の果てと言い伝えられてきました。 こうした言い伝えを基に、東金市観光協会では「古代では東金が日本の東端だった」と主張。 東金市街や九十九里浜が一望できる高台の公園に、「東方伝説発祥の地」碑が建立されました。
高さ50cmの六角柱には『聖徳太子』の言葉を引用した「日出づる処ここよりはじまる」の文字。
碑の反対側には「東方伝説発祥の地」の文字が刻まれており、関係者参列の上で、建立の記念式典も挙行されたそうです。「日本の東の“最果ての地”は東金」とする伝説を根付かせたい熱意は伝わってくるのですが・・ その割には「碑」の建立場所は全然案内不足だし、見つかった時には「えっ!これ😲???」😅。
最初に日が昇る東の果ての碑・・宣伝文句に釣られてしまった「ガッカリ名所」の仲間入り決定😔 この碑を探すためにあちこちと歩き回ったご亭主殿が、もしやここかもと登ったのが、この石段😣。
おかげさまで、石段下に建立されていた『三枝青雲』の句碑を見つけてくれました。 【鴇ケ嶺の 林道さくら またさくら】
石段の上にあったのは、山王台公園の一角に鎮座される「古山王神社」。御祭神は、多分『大己貴神』ではないかと・・・
境内案内板に【『僧:最澄』が仏教を広めるため、大同二年(807)近江の国坂本村の「日吉大社」から御分霊を勧請し当地に鎮祭。「山王権現」とも称された。嘉慶元年(1387)に『酒井定隆』が鴇峰城の鬼門鎮護のために、大豆谷宮台の地に現在の「日吉神社」を建立し御遷座したもので、旧東金組六ケ村の総鎮守として崇敬を集め今日に至っている。】
他に書くことは無かったのかとお叱りを受けそうな😅、東金市の新名所とその周辺でした。 でもまぁ、最初は分からなかったけど、此処まで車で来られたし、眺めは確かに良かったです😊
訪問日:2019年3月10日
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