1994年12月、智頭線開業と同時に設置された「平福駅」。駅舎は第4回近畿の駅百選にも選定されています。
2010年の訪問では流石に気動車の発車に間に合いませんでしたが、2012年の訪問ではホームから見送ることができました。何故かはわかりませんが、ホームの車両を見送る瞬間って、好きなんです😊
さて、この平福駅で『宮本武蔵』の顔出しと遭遇。何故に『宮本武蔵』?と思われた方、実はここ平福には「宮本武蔵初決闘の場」があるのです。
宿場町の外れに建立されている念仏碑と六対の地蔵菩薩・・その昔、金倉橋西の一帯は平福藩の刑場があった場所。この六地蔵は、刑場の露と消えた人々の供養のために、建てられたものと云われています。
この六地蔵が建立されている地に、当時十三歳であった『武蔵』が初めて決闘をした場所であることを記した碑が建立されています。
「宮本武蔵最初の決闘の地」の碑と説明版に寄れば【武蔵13歳の時、『何人なりとも望みしだいに手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なる』という、新当流の達人、有馬喜兵衛(ありまきへえ)の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる。】このでき事は、武蔵の著した兵法書「五輪の書」にも記されています。
武蔵の出生については『吉川栄治』作の「宮本武蔵」の中で語られる美作が出身地としてあまりにも有名ですが、これには諸説があるようで・・まぁ・・彼ほどの有名人になれば「我が町こそが!」と名乗る気持ちは理解できます😅
因幡街道随一の繁栄を見せた「宿場町・平福」には、名刹と呼ばれる寺社も多くあります。全てが時の流れの中で浄化され、今は観光の名所として紹介される場所を後にして向ったのは、法道と行基ゆかりの「浄土宗:正覚寺」。この鐘楼門、なんとも絵になる佇まいです。
境内に置かれていた鬼瓦は何時の時代のものでしょうか?目線の近くまで降りてきた鬼の顔はとても穏やか。
こちらは、利神城の城門を移築したものと伝えられる「暁光山・光勝寺」の山門。あれもこれもと欲張って駆け足になってしまった平福の町歩き、もう少しのんびりと出来ればと思いつつ、いつも同じ言葉の繰り返し😅。
訪問日:2010年8月8日 & 2012年4月14日
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