辰野町平出に「双体道祖神」二基。「二十二夜様」「二十二夜塔」「甲子」他、石塔多数。
「天明六丙午(1786)二月八日」の刻。道祖神の上部には「御幣」。仏教系の道祖神なのか、男神が向かって左に立ち、寄り添うように立つ女神の手を握っています。顔立ちは判りませんが、きっととても雅な男女神だと思います。
こちらは摩耗が進み過ぎて、ともすれば道祖神である事に気付かずに通り過ぎてしまいそうな・・・それでも立ち止まる事が出来たなら「きっとそうなんだろう」と思わせる雰囲気があります。
「二十二夜様」
「二十二夜様は一生に一度しか願掛け出来ないから、大病の時東の空を向いて、何歳の男とか女とか唱えて願掛けをする。全快すると旧暦七月二十二日の晩、月の出を待って拝む。月の出まで立って待たねばならないから、これを御立待ちといった。また、お参りをしてお灯明のろうそくの燃えさしをいただいてきて、出産のときそれを立てると安産になるとも言われた。大正八年の道路改修の時、旭町の通りにあった二十二夜塔を宝性神社参道に移し、大正十一年に現在地に新しく建立した。~以下略」現地案内より
撮影日:2016年4月25日
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辰野町小野:小野駅から「小野宿」に向かう道すがらに見かけた「庚申塔」「二十三夜塔」「仏塔」
小野公園山裾の広場らしき場所に「庚申塔」三基。「二十三夜塔」一基・・他
野町上島、渡戸上組本道三叉路に「握手双体道祖神」一基。「庚申塔」三基。「石仏」「石祠」など十六基。
「延享四丁卯(1847)二月日 道祖神 施主村中」の刻。中区一杯に身を寄せ合う男女神。二人の間に入り込める物はきっと何もありません。
辰野町飯沼、JA川島支所前に「はだか武兵衛碑」。他「仏塔」「仏像碑」など三十数基。
「はだか武兵衛碑」「はだか武兵衛」と刻まれた碑に大きな御幣が縛りつけられています。はだか武兵衛は常に裸でいた駕籠かきだったらしく、疾病の神として信仰されているそうです。
「聖観音菩薩」
「金精様」もありました・・・・・(/ω\)
辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅵ~に続きます。
撮影日:2016年4月26日
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