車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

伊予絣会館と鍵谷カナ頌功堂 in 愛媛県松山市

2020年11月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛媛県

松山市久万の台にある「民芸・伊予かすり会館」。2011年の松山市内神社巡りで参拝した「三島神社」とは、道路を挟んだ向かい側に位置しています。
体調を崩し車で待機していた私は、このかすり会館が気になって仕方ありませんでした。 夫婦共に長く着物の世界に関わってきた関係もあり、織物関連の施設は格別に興味があります。 が、その時は次々と予定が詰まっており、とてもここで時間を費やすことは出来なかったのです。

2013年の再訪で来館が実現したのは、松山城リベンジの夢を打ち砕いた雨のせい。今度こそは、美しい青空の下でと決意も新たに臨んだ以上😠 妥協は出来ません。そこで一日、どこかで・・となった時、思い出したのです!このかすり会館の存在を。

会館の屋根の軒丸瓦には、絣の文字が紋の様に刻まれているし。鬼瓦には絣の代表柄「井桁」、この柄は松山市のマンホールにも描かれていましたよね。でもって、この井桁、敷地のそこかしこにあって、思わずウフッ😄

三月ということもあって、館内には彩りも華やかなオリジナルの雛飾り。猫好きにはたまらない「猫のお雛様」、それはもう、当初の目的を一瞬忘れてしまいそうになったほど、足が動かない💦

かすり資料館では「伊村式整経機」をはじめとした、伊予絣に関する様々な資料の展示に加え、実際に機織りの実演も見せて頂けます。

伊予絣(いよかすり)」とは、愛媛県松山市で製造されている絣の総称で、「久留米絣、備後絣」とともに日本三大絣の一つ。江戸時代後期、今出(松山市西垣生町付近)在住であった『鍵谷カナ』が独力で織出したといわれています。

ふとん絣とも呼ばれる大絣等の文様は実に奔放自在、明治の中頃から大正にかけては日本の絣生産のおおよそ半分を占め、明治37年(1904)には生産量日本一を記録しました。

展示されている絣の実物はどれもこれも、そのまま和風のインテリアとして使えそうなデザインばかり。暖簾はありきたりかな?、いっそランプシェードに貼り付けて・・

考えることは誰しも同じと見えて、ケースの中にはこんな屏風が懐かしいお人形たちと一緒に展示されています。

懐かしい「阿波木偶人形」は巡礼のお弓。継ぎ合わせた着物がいかにもつらい旅を想像させて、叶うことなら抱きしめたい衝動に駆られそうな風情。

美術館の展示のように、額縁に収められた伊予絣の文様。庶民の暮らしの中に溶け込んでいた品々はいつしか姿を消し、そして新たに伝統工芸品として命を吹き返しました。

かすり会館の記念スタンプは、会館前に建立されていた子規の句碑と同じ、
【花木槿 家ある限り 機の音】 目を閉じると、軽快な機織の音が聞こえる気がします。

松山市の今出地区には、伊予絣創始者の鍵谷カナの功績を讃え、伊予織物同業組合が建設した「鍵谷カナ:頌功堂」があり、2011年に訪問していました。

鉄筋コンクリート造の八角堂の中央に『鍵谷カナ』頌功碑。8本のエンタシスの柱と斗組により反りの強い本瓦葺八角屋根を支える特徴的な姿形をしています。設計は、愛媛県庁本館や萬翠荘と同じ『木子七郎』。国の登録有形文化財に指定されています。

 

【朝鵙(あさもず)二 夕鵙(ゆうもず)二 かすり 織りすゝむ】村上霽月

村上霽月の弟子三由 孝太郎:句碑明日引かん 鴨なる深き 眠りかな

たまたま近くに見かけた竜宮門。瓦の面白さに引かれて画像に残したのですが、帰宅後にそこが『鍵谷カナ』のお墓がある「長楽寺」だったと知った時の「そうだったんだ・・」と思った、あの不思議な感じが忘れられません。

訪問日:2011年6月12日&2013年3月27日


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