松山市高井町に鎮座される「波賀部(はかべ)神社」。御祭神は『大山積命、高靇神、雷神』。配神として『寛王命(かんのうのみこと)』を奉ります。
〆柱の奥に鎮座される「波賀部神社」。境内の後方には、松山市指定記念物(史跡)の「波賀部神社古墳」があります。
由緒「聖武天皇の御代、神亀5年(728)、伊予の豪族越智玉純が、大三島より勧請し、石井郷一宮三島大明神と称した。 後に、嵯峨天皇の皇子寛王が、伊予の国司として赴任されたが、貞観18年(876)この地で亡くなられ、神社の傍らに遺骸を葬り、神霊を合祀したことから、社号を墓邊神社と改称した。後世、墓の字を忌み波賀部神社に改めた。」愛媛県神社庁
参道途中より神域を守護されるのは、体の三分の一はありそうな玉を持つ狛犬さん。あまりにも大きな玉なので二足歩行の姿勢😅
優雅な曲線を描く注連縄に守られた拝殿。その後方に広がる緑の一帯に残る墳丘。これは松山平野に現存する前方後円墳の中でも最大級のものといいます。
拝殿正面の切妻屋根の上では勇ましく龍を追う雷神の姿。・・この辺りでは龍と雷神は一対の存在なのでしょうか? 「阿沼美神社」の奉納額でも似た構図を見ました。
棟瓦の中に潜む猛虎は龍を追いかけ、その口には龍の宝剣が咥えられています。それが龍の尾から出たものなのか、それとも雷神から与えられたものなのか・・・・
飾り瓦と言えば留蓋の獅子は定番ですが、私は今までにこんな異形の獅子を見た事がありません。皮膚を覆うのは獅子の毛並みではなく鱗。角はまさに鬼のもの、重く垂れ下がった瞼・・鬼師の意図は何所にあったのでしょう。
拝殿内には沢山の奉納絵馬がありましたが、比較的きちんと撮れた「唐獅子」。もしかして留蓋の獅子のお手本にされたのでしょうか?鋭い目つきは恐怖さえ感じさせます。そして右は・・・何と!「鮫の顎」。
拝殿の東に鎮座されるのは「境内社:一事神社」。右に「境内社:太刀打神社」
拝殿西に鎮座されるのは「境内社:朝日社」、右に「境内社:床浦神社」。
同じく拝殿西手前に鎮座されるのは「境内社:生目神社」、右に「境内社:金刀比羅神社」
少し後方に回れば、横穴式石室の露出部分なども見る事ができたのでしょうが、その当時は次の目的地に行く事が先決。調査不足もありますが、時間的に余裕がありませんでした。
参拝日:2011年6月12日
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