津和野町後田に鎮座される「太皷谷稲成神社」。通称「津和野のおいなりさん」と親しまれます。かってこの地は津和野城の城山の一角で、時告げの太鼓が鳴り響く谷間にあった事から、太鼓谷と呼ばれました。
日本五大稲荷の一つに数えられており、御祭神は『宇迦之御魂神・伊弉冉尊』。 絵馬には宝珠を持って雲に乗る『稲成大神』と、稲穂を咥えたお先狐(神狐)。「いなり」=「稲成」の表記は日本ではここのみとされ、願い事が叶うようにとの意味を持ちます。
由緒【安永2年(1773)、津和野藩7代藩主『亀井矩貞』が、藩の領民安寧のために京都の「伏見稲荷大社」から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したのに始まる。以降、歴代藩主の崇敬を受け、廃藩後は庶民も参拝できるようになり、中国地方有数の稲荷神社となった。】
朱塗りの拝殿・本殿は、昭和44 年(1969)の再建
拝殿に掛けられた大しめ縄、島根県内でも石見地方の神社ではこうした大しめ縄を良く見かけます。
華麗と言う言葉がふさわしい拝殿内
拝殿前左右より神域を守護される神狐さん一対。向かって左は巻物を咥えているのですが・・相方は何を足の下に置いているのでしょう?
表参道右手に鎮座される「元宮(旧熊野神社)」。御祭神は『伊弉冉尊(熊野大神)、宇迦之御魂神(稲成大神)』
太皷谷稲成神社ではまずこちらの「元宮」を一番最初に参拝します。
「江戸後期の安永2年5月15日、藩主七代亀井矩貞公により、京都伏見より稲荷大神を、城内の一角である太皷谷の峰(津和野城の鬼門)に勧請。慶應3年7月、津和野藩の神社整理により、津和野乙女山に鎮座の熊野権現社を稲成神社に遷し、相殿として奉斎。以来、社号を熊野神社と称した。大正12年、現社殿を建立し、昭和2年に熊野神社から稲成神社と改称。昭和44年、新社殿建立につき、当旧社殿を「元宮」と改め、熊野・稲荷両信仰の神域として現在に至る。」公式HPより
拝殿奉納額「宝珠を持って雲に乗る『稲成大神』と、稲穂を咥えたお先狐(神狐)」の鏝絵。
拝殿奉納額「天人」の鏝絵
拝殿奉納額「鳥居の奥に稲穂:左右に命婦専女神」
次に「元宮」の後方に鎮座される「命婦社」を参拝。御祭神は『命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)=(稲成大神お使いの夫婦の白狐神)』
「古来より、命婦社での祈りは、京都の伏見稲荷大社に通じるとの伝説が残り、霊験顕著な神域として崇敬されます。通称「おじょう」とも呼ばれ、脇にはいつもローソクの火が絶えず、神妙な風格を漂わせています。」公式HPより
三番目に後方に見える拝殿に参拝し、最後に御本殿裏手の「新殿裏奉拝所」に参拝する四所参りがこちらの作法となっています。稲荷信仰では古来より、御祭神は本殿の背後より出入りするとの言い伝えが残る事から、このようなご神域が設けられた旨が公式HPに記載されています。
拝殿を背景にして
明日は稲成といえば外せない朱の千本鳥居の紹介です。
参拝日:2012年11月11日&2019年4月18日
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