車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

飯岡地内~あちこちウォッチ in 千葉県旭市飯岡

2019年08月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

九十九里浜の東端に位置し、県内2位の漁獲量を誇る「飯岡漁港」。潮の匂いが鼻腔をくすぐります。「飯岡灯台」に向かう途中、たまたま見つけた「飯岡漁港」の案内。朝の港の風景は無条件に好きです😊 

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旭市下永井、九十九里海岸北端の千葉県道30号:飯岡一宮線沿いの海に面して建つ「龍王崎鳥居」。鳥居の向こうに聞こえる波の音は、慣れない者には恐ろしいほどの圧倒感をもって迫ってきます。・・『日本武尊』『玉依毘売命』を奉斎されたという、玉の浦の東端・玉ヶ崎(龍王崎)とはこの場所でしょうか? 清々しい朝、木製の鳥居は、東日本大震災の津波にも耐え、美しい姿でこの場所にあります。

「龍王崎鳥居」の周囲は更地になっており、鳥居の脇に「座頭市住居跡」と書かれた碑があります。

『座頭市』と言えば『勝新太郎』の当たり役、映画だけでも26シーズンもの作品が作られています。 兇状持ちで盲目の侠客、さらに抜刀術の達人で悪人どもをバッタバッタと切り殺す。ラストの決め台詞は・・「嫌な渡世だなぁ~」

作品の元となったのは、昭和23年(1948)の「小説と読物」に連載された『子母澤寛』の「ふところ手帖」。 幕末動乱の時代を描いた短編小説の中の一篇で、その内容はわずか九ページの「座頭市物語」だったと言います。映画の脚本担当者、どんだけ話を膨らませたんだか😅 それはさて置き、「いいおか潮騒ホテル」が見える角には、2010年に作られた「座頭市物語発祥の地」碑。

また駐車場西側の片隅には「飯岡市さん会」によって建立された「座頭市物語の碑」もあります。 飯岡はとにかく「座頭市」一押しみたいですね。

ホテルがある飯岡海岸の一帯は、2011年3月11日の大震災によって、大きな被害を受けました。 ちょうどこの時「いいおか潮騒ホテル」前で「3.11を継承する集い」が開催されていました。忘れてしまえれば絶対に楽!でも無かった事には出来ない、決して忘れてはいけない。🙏🙏

飯岡海岸には「東日本大震災 旭市飯岡津波被災の碑」が建立され、津波の記憶を伝えています。 人智を超えた災害に人の力が如何に無力であろうとも・・その事実は風化させてはなりません。

【津波なんて実際に来るまでに時間差があるから、その時間に対応をすれば済む】 【明日来るのか100年後・200年後か、来ないのかもわからない災害に対策費を使うのは無駄】

こんな事を平然と言い切れる人間が、どんな肩書であれ国民の代表でいた事が、私にはどうしても解せません!

「元禄地震の再来 想定津波高」と記された標識を見たのは、これで何度目でしょうか・・ 高く作られた堤防が絶対に完全ではなくても、命を守る防波堤である事を誰もが知るべき、何故、それがここに在るのかを・・。

「飯岡海岸護岸竣工碑」と題されたモニュメント、頂上には二人の少年の姿。【九十九里浜東端の飯岡海岸は、遠い昔から太平洋の怒擣に洗われる侵食海岸で、そのため海辺に住む多くの人たちは親類縁者を頼って町内各所に移転し、あるいは集団で故郷を追われ他の市町村に移住したと伝えられている。】

波と格闘する大人たちの姿を見てきた二人の少年は、石を積み上げて堤防を作ろうと思い立ちます。

雨の日も風の日もひたすら石を積み上げてゆく子供の数はやがて全校生徒に及び、そうして自ら郷土を守ろうとする気高い意志は、父母から子に伝えられました。積み上げた石山は「我らの波止」と呼ばれ後世に伝えられた事などが、碑文にびっしりと刻まれていました。

記事の内容からは場違いになりますが、この飯岡海岸にも「あしたのジョー」の石像があります。

石像は「飯岡灯台:上永井公園」にあったものと全く同じ『矢吹ジョー』と『力石徹』。  「飯岡灯台」の項では『力石徹』の石像だったので、ここでの紹介は『矢吹ジョー』に・・・に😱・・似てない😓。

訪問日:2019年3月11日


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