甲賀市信楽町に鎮座される「新宮(しんぐう)神社」。御祭神は『素戔嗚尊・櫛稲田姫尊・大山津見神』。紫香楽一乃宮として崇敬を集めています。
「当社は霊亀元年(715)九月 第四十四代 元正天皇の御代、奈良時代の創建。以来信楽町大字長野、神山、江田、小川の産土神と遍く尊崇され、社号を新宮大明神と尊称した。曽て近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等の信仰篤く、代々当社の境内神領等の寄進があった。 南北朝の戦(1336年)の兵火にて焼失し、再建され其後、大風の為、本殿大破し寛文三年(1663)十一月十九日再建。現今の本殿即ちこれ也。」公式HPより
由緒と共に紹介されているのは、御祭神:素戔嗚尊が櫛稲田姫と結婚の契りを交わされた時の御歌「八雲神詠」
【八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を】
一の鳥居両脇より神域を守護されるのは、昭和58年2月吉日建立、『陶工:双芳』作による信楽焼き狛犬さん一対。実際に大きいのですが、画像で見てもその大きさが想像できると言うのが、作者の凄さを伝えています。
また一の鳥居脇には、昭和26年に昭和天皇が信楽訪問をされた際に詠まれた御製碑が建立されています。【 幼などき 集めしからに懐かしも しがらき焼きの狸をみれば 】
参道から真っ直ぐに進むと神楽殿。県指定無形文化財の「甲賀の祇園花行事」は、この神楽殿で行なわれるのでしょうか?
神楽殿前左右より神域を守護されるのは、昭和50年2月吉日建立の信楽焼き狛犬さん一対。奉納「卯竜会」とあるのは崇敬会方々の生まれ年にちなんだ会かもしれません。それにしてもこの顔立ち・・まるでアメコミに登場する悪や・・・・あっ!いえ何でもありません😣
神楽殿の後方に建つ入母屋造 間口四間三尺 奥行三間三尺の拝殿。その後方に幣殿があり、一間社流造 間口二間三尺 奥行一間三尺の本殿が鎮座されます。
本殿神門前より神域を守護されるのは、明治35年4月吉日建立の浪花タイプの狛犬さん一対。阿吽共にとても穏やかな顔立ちをしておいでです。
「摂社:神武社」「神武天皇遥拝所」
「摂社:大国社(田所神社)」、御祭神は『大国主大神』
信楽町出身の参百弐柱の御英霊が祀られます。
太鼓も鶏も全て信楽焼で作られた「諫鼓鶏(かんこどり)」。「諫鼓」とは中国の伝説上の聖天子が、君主に諫言をしようとする者に打ち鳴らさせるために、朝廷の門前に設けたという鼓。「鶏」は鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒する想像上の鶏と云われています。
「多羅葉(たらよう)の木」は、現在の葉書の語源になった木と言われています。 その昔、葉の裏を尖ったもので書くと字が書けることから、紙の代わりに用いられていました。新宮神社の境内にある多羅葉の木の近くには、多羅葉の木伝説の碑が建立されています。【近江なる 信楽山に我ありと 人には告げよ 回○の鱗(○部分の漢字不明)】
参拝日:2011年2月27日
まずは3種類の狛犬さん。何度見ても惚れ惚れするのは、『陶工:双芳』作の信楽焼き狛犬さんです。
次はお馴染みの、浪花タイプの狛犬さん。私には優しいお顔に見えませんが、苔むしたお姿に風雪に耐えた強さを感じました。
「卯竜会」の狛犬さんは、同じ信楽焼きなのに、・・あっ!いえ何でもありません😣と、これは貴方と同じ気持ちになりました。
「八雲神詠」は、素戔嗚尊が櫛稲田姫のための新居を出雲に作られた時の歌と聞いておりましたが、こんなところにも伝承があったんですね。
思いがけない昭和天皇のお歌もあり、楽しませていただきました。
良い旅のお供をさせていただきました。Tononeko殿にも、よろしくお伝えください。
信楽焼の狛犬さん、まだまだ奥が深いんですよ。
何しろ「信楽焼の狛犬」がメインで
参拝神社を選んだ不届きものですから^^;
24日の「たぬきや総本家 :狸庵」まで
いろんな信楽焼の狛犬さんを紹介していきます。
PS・・・
tononekoさんは変わらず元気です。
色んな思い出を無くしてしまっても、
狛犬さんは、懐かしそうに見ています。
いつも優しいお声掛け、有難うございます