4丁目は趣がぐっと変わって、文京区本郷にあった理髪店「本郷喜之床」。 明治末年(1910)頃の建築で、明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物です。
この建物の二階二間を明治42年(1909)から間借りして家族と生活していたのが、歌人『石川啄木』。処女歌集「一握の砂」はここで暮らしている時に出版されました。結核に冒され27歳という短い生涯を閉じた啄木ですが、その作品は今も不朽の名作として残されています。
一階部分には、新潟にあった「入村理髪店」から贈られた当時の鏡や椅子等が置かれ、ハイカラなバーバー(床屋)の雰囲気を伝えています。
大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋「呉服座」。もとは池田市本町にあった明治7年創業の戎座を、明治25年(1892)に西本町へ移築し、このときに名称も「呉服座」と改められました。
ちなみにその呉服座があった池田市の地名は、今も「呉服通り」と呼ばれています。
明治42年(1909)、近代郵便制度の事業拡大にあわせ、 伊勢神宮外宮前に建てられた現存する最大の木造郵便局舎「宇治山田郵便局舎」。
「木造平屋建ての銅板葺きで、中央の頂きには円錐ドーム形の屋根、両翼には寄棟の屋根を伏せています。正面の左右には、小さなドームをのせた角塔が。外部の装飾は北欧で見られるハーフティンバー様式で、漆喰塗りと下見板張りの壁が使い分けられています。」公式HPより
「公衆溜」と呼ばれた円形ホール。天井の高窓から差し込む光がとても幻想的で、郵便局と聞いてもピンとこない程ですが・・・
展示された歴代のポストとか見ると「そうなんだ~、郵便局なんだよね」と妙に納得できます(笑)
こちらでは現在も郵便業務が行われているとこ事だったので、大切な人たちに記念の絵ハガキを投函してきました。
マンホール好きとしては「明治時代の水道菅」は、一応チェック(笑)
明治5年(1872)建築の「鉄道寮新橋工場(機械館)」「日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋ステンショ(停車場)に機関車修復所として建てられました。「日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発され、機関車や線路はすべてイギリス製。この建物も柱、外壁、サッシ等、すべてイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建てられたものです。」公式HPより
機会油の匂いのする工場内部には、日本の近代化の過程で使われた多数の貴重な機械類が展示され、「機械館」として活用されています。
明治政府が殖産興業を推し進めるため設置した政府直轄工場で、明治12年(1879)に製作された「菊花御紋章付平削盤」。「側面に取り付けられた銘鈑から、工部省直轄工場である赤羽工作分局製作されたことが明らかです。岩手県の船舶修理工場向けに出荷され、のちに岩手県盛岡工業高校に引き継がれ、実習用として大切に保管されてきました。」公式HPより
綿紡績の最終工程に使用されていた「リング精紡機(明治26年)」。「前紡工程の練紡機(粗紡機)より供給された粗糸を引き伸ばして所要の太さにしたのち、撚りをかけて糸とし、その糸を自動的に巻き取る機械です。」公式HPより
日本の近代化の一端を担った「工部省品川硝子製造所」。「建物はガラス工場施設の一部で、当時は大きな窯場や倉庫が隣接していました。明治政府は、明治9年(1876)に民営のガラス工場、品川興行社を買い上げて国営工場としました。」公式HPより
機嫌よく建物内に入りかけたところで、時間的に無理が出そうだからと御亭主殿からストップが!確かに・・まだ半分も回っていないんですよね。
第四高等学校武術道場「無声堂」は、金沢の第四高等学校(現 金沢大学)に大正6年(1917)に建てられたもので、柔道、剣道、弓道3つの道場からなる武道場です。
「木造平屋建て、切妻造りの桟瓦葺きの建物。主屋正面の中央に切妻造りの玄関がつきます。主屋内部は剣道場と柔道場の2つに分かれ、両妻の落ち棟に師範台と更衣室、背後に浴室を設けていました。弓道場は主屋と土間を介してつながり、茅葺きの的屋を併設しています。柔道場では床の弾力を増すため床下にスプリングを入れ、また剣道場では音の反響を良くするため床下に共鳴用の溝を掘るなど、道場の床には工夫が加えられています。」公式HPより
日本の黎明期を支えてきた建物のアレコレ、何故か時間の流れが速くなってきたように感じるのは、多分気のせいでは無い筈(-"-) もう少し焦らなければまわり切れないかも・・・。
訪問日:2011年6月4日
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