安曇野市穂高、東光寺の少し先に立派な長屋門が続く屋敷構えが見えてきました。建物は、市指定文化財「等々力家住宅」。
本屋の奥には殿様座敷があり、長屋門と共に江戸時代中期の建造。桃山時代中期の須弥山石組様式の庭園もあり、長屋門と古文書が市の有形文化財に指定されています。往時、大門は大名屋敷など格式の高い身分の者しか建てる事が許されていませんでした。江戸時代には松本藩主の本陣となり、殿様が鮭や鴨の狩猟をする際の休憩所としても使われていたそうです。
外から見る「等々力家住宅」の蔵
樽のように丸めて積み上げられた稲藁、春の日差しは穏やかで温かく、藁ロールを包み込むように降り注ぎます。
安曇野市穂高にある「早春賦歌碑公園」
穂高川の堤防沿いには、作詞家『吉丸一昌』氏が安曇野の遅い春を待ちわびる心を歌った早春賦の歌碑が建てられています。
春は名のみの風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと声もたてず
春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを
いかにせよとの この頃か いかにせよとのこの頃か
穂高川の堤防沿いの道をまっすぐ歩くと何処まで行くのでしょうか?正面に見える有明山のふもとまで?まさか 😅 それはあり得ませんよ。
安曇野市穂高狐島の「双体道祖神」に出会う途次で見かけた文学碑。何が書かれているのか何処にあったのか、何にも分らないと言うのは悔しい😣
「矢原文化財保存館」。主に弥生時代から飛鳥・奈良時代にかけての出土品等が保存されているそうです。
「矢原龍神社 稲荷社 口碑によると将軍家光に仕えた夢水と言う名医が、巡国中にここで不慮の死を遂げ、その身に着けていた龍神の巻物を祀る事に始まる。この地は湧水のある所で龍神の斎く適地であったと見られ、また古道「北の宮道」の道沿いにある。~中略~並祀される「稲荷社」は元は近くの地主神として鎮座していたのを開田に際して並祀されてきた」現地案内
匂うばかりの花の色、安曇野の春はすべてが優しく美しい。
安曇野市穂高矢原に鎮座される「矢原(やばら)神社(矢原神明宮)」御祭神は『天照大御神』
この一帯は古代、伊勢神宮の荘園・矢原御厨(みくりや) が あったところで、社殿の配置も天照大神をまつる神明宮の古い形式を伝えているといわれています。当初は「伊勢神明社」と称しましたが、元禄2年(1689)に狛犬を寄進した棟札から、当時「神明宮」と呼称されていた事がうかがえます。
伊勢神宮へわさびを献上する、由緒ある神社としても知られているそうで、社殿には安永5年(1776)建築の本殿のほか、幣殿、拝殿、宝殿、神楽殿などがある由。なのに画像はこの三枚のみ 😣 双体道祖神に気を取られた所為です。
高瀬川に架かる高瀬橋。レリーフは「穂高連峰と穂高町の木:シャクナゲの花」。
訪問日:2016年4月19日
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