穂高地内の寄り道スタートは、鄙びた感じが好ましいJR東日本大糸線:有明駅舎から。
ホームから見る北アルプス、この何とも言えない非日常感に軽く興奮😊
安曇野市穂高、豊かな緑に包まれた一画に、2009年に国の登録有形文化財に登録された「碌山(ろくざん)美術館」
近代彫刻家『荻原碌山(号:守衛)』の個人美術館だそうで、キリスト教教会堂を思わせるシンボリックな建物に碌山の彫刻・絵画・書簡等が展示されています。
碌山は旧穂高町東穂高村出身で「東洋のロダン」として知られている人物ですが・・生憎の休館日😥 。本当に私たちにはよくある事ですが・・でも、フェンス越しに「労働者」の彫刻を見る事が出来ました。
これはおそらく碌山美術館の隣にあった穂高東中学校のものだと思う。手長足長君が伸ばした手の先に広がる北アルプスの山並み・・とってもステキ。
安曇野市穂高等々力町、黒と白の漆喰壁のコントラストの美しさに、つい見とれてしまったお屋敷。
堂々とした表門の屋根の上から穂高の町並みを見守る、飾り瓦の飛び獅子一対。丸瓦に刻まれているのはたぶん屋号。
「特産わさび丸吉」さん。わさび農場で知られる穂高には、わさびを扱うお店が沢山あります。
そして、とてもお洒落な「わさびの街灯」
「あずみ野バザール若松屋」は、明治時代の自由民権運動家『松沢求策』の生家だそうです。
JR東日本大糸線:穂高駅までやって来ました。駅舎は「穂高神社」を模した形式で、駅舎の向こうには北アルプスの山並みが見えます。
駅前で乗降客を出迎えるのは『小川大系』作「登頂」。「ザイルを持ち、優しく子の肩を抱く父の静、こだまを楽しむかのように山の空気をいっぱい に響かせている少年の動。そこに山頂に立った山男の優しく逞しい安曇人の姿を表しています。」公式HPより
穂高駅前の交差点にある「カフェ・ギャラリースプーンアート」。お店前の一画には超リアルなインベーダーや怪しい生き物たち 😍。何と材料はすべてナイフ・フォーク・スプーン等々。
造形作家『松原弘己氏』が経営するカフェ&ギャラリーと言う事で好奇心をくすぐられますが、多分ここで誘惑に負けたら後の予定が全部ボツになる 😥 ・・そんな危惧を抱くほど面白楽しそうなお店でした。
穂高神社裏参道付近で見かけた「矢原堰」
「安曇野地方の代表的用水路・矢原の臼井弥三郎の努力で1654(承応三)年犀川からの引水に成功したもので、矢原・細萱・穂高等を灌漑している。開削当時は弥三郎堰と呼ばれたが後に矢原堰と改称された。鳥川の自然流を利用していた当時に大河川からの取水は画期的偉業であった。」
穂高神社近くの「〇〇供養普門品(ふもんほん)」碑。上部が判読できませんが、普門品とは法華経:観世音菩薩普門品のことで、村落共同体の安泰を願って観音経を一定回数読誦した記念に造立されます。
厳島社
穂高神社:社前町の某お店のショーウインドウで見かけた「木彫り双体道祖神」の看板。「心が渇いたら 戻っておいで安曇野へ」・・なんて優しいフレーズでしょう。
別のお店のガラス戸に貼られていたポスター「太っても龍・・大丈夫、まだ浮けてる」 大丈夫!!もの凄く「浮け」😅・・・もとえ受けました😆
訪問日:2016年4月19日
去る6月19日の千葉日報で、面白い記事を見つけました。ゲーム感覚でマンホールを撮影して、アプリへ投稿する市民参加のイベントだそうです。
知っておられるはずとは思いながら、もしや知っておられないイベントなら、お伝えしたいと考えてしまいました。
こ返事次第で、記事の内容を追加送信します。
楽しそうな情報を有難うございます。
残念ながら関西在住なので
千葉はとっても遠いです。
過去に二度 千葉に車泊旅をするほど
お気に入りの地ですが・・
あと・・・私未だにガラケーなので(笑)
アプリ云々になるとお手上げです
主催者は、非営利団体「ホール・アース・ファンデーション」と言い、本部はシンガポールにあるそうです。
同団体は昨年8月以降、同種のイベントを各地で開催しているということなので、全国的認知度はこれからなのでしょうか。
日本グラウンドマンホール工業会も協力していて、このデータをもとに全国のマンホールの劣化状況の分析に使っているそうです。
同会によると全国の下水道マンホール数は、約1600万個あり、そのうち350万個以上が設置から50年以上経過し、劣化しているとのことです。
記事に掲載された写真には、女性が屈んでマンホールを移していますが、言われる通りスマホですね。
参考のために、ご報告しました。暑さに負けず、ふらり旅をお楽しみください。ご主人様にもよろしく。
マンホールの劣化を知る手段として・・
これは本当にすごい事ですね。
マンホール撮影を始めた当初は
物凄く不審者扱いされましたが(笑)
最近は色んな催しが有って、奇異な目で見られる事も無くなりました。
御亭主殿との二人旅・・・
叶うものなら、もう一度と切に願っています