旧南安曇郡堀金村(ほりがねむら)は長野県中西部、北アルプスの常念岳東麓の烏川扇状地上に位置した村です。松本市、豊科町、三郷村、穂高町に隣接。地名の由来は「開墾」を意味する「はり (墾) 」が「ほり」となり、山のふもとを意味する「ね」がついて「ほりがね」となったといわれます。北部は烏川の扇状地で安曇野の一部をなし、西部は飛騨山脈の前山常念岳・蝶ヶ岳の東斜面にあたり、一部は中部山岳国立公園に属します。「町の木:ケヤキ」「町の花:カタクリ」を制定。
旧キャッチフレーズは「常念岳のふもとに広がる多彩で活力あふれる田園空間 堀金村」
明治22年(1889)、町村制の施行により、南安曇郡烏川(からすがわ)村・科布(しなの)村が発足。
1893年、科布村小倉が分立して小倉村が発足。科布村小田多井・田多井・田尻が改称して南安曇郡三田村となる。
1955年、烏川村と三田村が合併、南安曇郡堀金村が発足。
2005年、南安曇郡豊科町・穂高町・三郷村・東筑摩郡明科町と合併し、安曇野市堀金となりました。
マンホールには「常念岳」を背景に、「村の花:カタクリ」と春の妖精「姫ギフチョウ」がデザインされています。
アクアピア安曇野:展示マンホール
冠雪の常念岳
昭和40年(1965)4月1日制定の村章は「「ホリ」を円形に図案化し、全体で豊かな農村堀金の姿を象徴したもの」合併協議会資料より
中央に「浸透」と書かれたマンホール、おそらく雨水浸透用の意味と思います。
かって烏川の扇状地上にあった地域は長く水不足に悩まされましたが、近世末に開削された「拾ヶ堰(じっかぜき)」により水田化が進み、昭和になって一面の水田地を得る事が出来ました。はるか向こうにまで続く稲刈りの終わった田んぼ。まるで追いかけっこをするかのようにコロコロと転がる藁ロール、追いかけて行ったら私は何処まで行くだろう?
撮影日:2010年11月17日&2016年4月20日
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2010年11月の信州車泊旅では、こちらの道の駅「アルプス安曇野 ほりがねの里」で車中泊をさせて頂きました。場所的に便利な立地なのか駐車場には大型バンの車泊者が多く、寂しいという事は全くなかったのですが・・ゴミ箱の無い道の駅にゴミを捨てていく人たちを見た時はとても悲しく残念でなりませんでした。それが、大切な場所を自分たちで無くしていく行為だとどうして考えられないのか・・見知らぬ人たちに注意できない自分の弱さが恨めしかったことを、今も痛切に思い出します。
車で旅をする者にとってこうした場所は本当に有難く大切な場所です。車泊される全ての方が、当たり前ではないその大切さに気付いてくれることを願ってやみません。
改めて、その節は有難うございました🙏🙏
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