津島市神明町に鎮座される「津島(つしま)神社」。社格は国幣小社で、全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社。その信仰は津島信仰と呼ばれます。 御祭神は『建速須佐之男命』、相殿に『大穴牟遅命(大国主)』を配祀。
社伝に【建速須佐之男命が半島から日本に渡ったときに、荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。】
中世・近世を通じ「牛頭天王」を御祭神とした「津島牛頭天王社(津島天王社)」。境内にある建物の殆どが、国・県の重要文化財指定を受けています。
一の鳥居から真っ直ぐ進み、見上げる石段の先に建つのは檜皮葺・四脚門の「南門(県重要文化財)」。『豊臣秀頼』が父『秀吉』の病気平癒の為に、慶長3年(1598)に寄進と伝えられます。
「南門」の正面、境内を隠す位置には、切妻造・檜皮葺の「蕃塀(県重要文化財)」。「蕃塀」は「尾張造」の特色とされ、正面から大神様に邪気が当らないように造られたものです。
広い境内の正面には、切妻造妻入・檜皮葺の優美な姿を見せる「拝殿(県重要文化財)」。 建立年は不詳ですが、元和5年(1619)、寛永3年(1626)の修理記録の棟札などが残されています。
切妻造・檜皮葺の「回廊(県重要文化財)」は、文政8年(1825)の再建。
透かし塀越しには朱の色も鮮やかな三間社流造・檜皮葺の「本殿(国重要文化財)」。慶長10年(1605)に清州城主『松平忠吉公』の健康を祈願して、妻:政子の方が寄進。
拝殿と本殿の間に、文政6年(1823)に再建された「祭文殿(県重要文化財)」が僅かに見えます。
このように「本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)」を回廊で繋いだ左右対称の建築様式を「尾張造(おわりづくり)」と呼び、尾張地方独特の様式とされています。 私が参拝した神社では、稲沢市に鎮座される「尾張大国霊神社」が、同じく「尾張造」の様式でした。
明日は国重要文化財の楼門と、境内にあまた鎮座される境内社の数々を紹介します。
参拝日:2011年4月25日&2014年7月27日&2017年3月28日
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