奈半利町甲、海岸沿いの国道55号線を走っていて見かけた「弘法大師霊跡」。海中に何か有るのかと思いつつも、車中から碑を写すのが精一杯。後で調べたら、碑の下に「大師堂」があったという事です。
太平洋に面した奈半利町。沖合約200メートルには、二十数年前から設置した15基のコンクリート製離岸堤があり、それに付着する形で珊瑚が生息。船上に設けられた見学用の窓から美しい姿を鑑賞することができるそうです。
楽しみな町歩き、まず最初は「なはり素通り禁止八策」の看板。これが実に楽しい内容で、思わずクスッ😄 😃 一策「うまいもんあるぜよ」。二策「古い町並見ていきや」。三策「こじゃんと澄んぢゅう海」。四策「ふといあい(鮎)がおるで奈半利川」。五策「べっぴんさんもどっさり」。六策「ぴちぴちのいお(魚)がおる港」。七策「ぎっちりであい博」。八策「脱藩もんもかまんぜよ」那波の関所・・八策めでツボにはまりました😍
町歩きの起点で見かけた「能勢達太郎成章生誕地碑」。幼少時から英才の聞こえが高く、十五才で高知の教授館に、さらに武市半平太の道場に入門。文久三年(1863)に入京し、名和宗助と変名。禁門の変では長州藩の忠勇隊に属して戦うも敗北し十六人の同志と共に自刃。享年二十三歳でした。
町歩きの最初は「なはり物語館」から。お遍路さんの休憩所としても利用されているそうですが、雨戸は閉ざされたまま・・ちょっと残念😔
ここは浜田家の煉瓦造りの倉庫・・・電柱の存在が邪魔になるなんて、きっと余所者の私が思ってはいけない・・・
石塀に囲まれた邸宅は、明治初期に建築された改田家住宅。個人様のお宅なので、静かにひっそりと見学させて頂きました😊
太平洋の荒波が作り出した丸石を赤土で積み上げた「石ぐろの塀」。これだけの数の形が揃った石を集めるだけでも並大抵ではないと思うのですが・・
同じ「石ぐろの塀」ですがこちらは浜石を半割にして小口を見せたもの。丸石が女性的なら、こちらは男性的といった風情。
ここは、大正7年に建築された、土佐の交通王『野村茂久馬(もくま)氏』の旧宅。現在は別の方のお宅なので、やっぱり遠目からそっと・・・です。
四国三十三観音霊場第9番(百八観音霊場第48番)は、高野山真言宗寺院「 高壽山:正覚寺」。今日はお遍路さんの姿を見かけませんでしたが、シーズンにはきっと多くの方が訪れるのでしょうね。
土蔵の薬局として重要文化財の指定を受けた「東山家」。元は製材業を営んでいましたが、現在は薬局に改装されています。
町歩きのそこかしこに、漆喰の壁面に水切り瓦がついた美しい建物を何棟も見かけました。このお宅などはそれほど古い時代のものではないと思いますが、周囲の景色に溶け込んで美しい町並みを作り出しています。
壁に取り付けられた水切り瓦は、風雨が厳しい土佐の地域独特のもので、瓦の小さな庇は壁面へ直接雨がかかるのを防ぎ、漆喰の白壁を保護するのが役目です。それにしても何と洗練された機能美。先人の生み出す技術には同じ日本人として誇りさえ覚えます。町歩きと言いながら何となく駆け足で楽しんだ奈半利の町並。それでも美しい日本の風景に出会えてとても満ち足りた気分です。
訪問日:2013年3月19日&2018年6月18日
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