境内から護国塔へと向かう一画に、「勅題・海上風静」と刻まれた歌碑。帰宅後に調べたところ、昭和2年(1927)の歌会始の儀で出されたお題だとわかったのですが・・実はこの年の歌会始の儀は『大正天皇』大喪儀の為に中止されており、お歌は公表されていません。この歌碑がその時に詠まれた誰かの歌なのか?・・文字の判読も出来ない今はただ謎のまま。
境内の外れに建つ「まとい殿」は、第51世可睡齋斎主によって昭和12年に建築。設計者は、『伊東忠太』の弟子で、内匠省技手(宮内省内匠寮)などを務めた『金子清吉』。
「まとい殿」の中には、遠州一帯の地域に受け継がれてきた「まとい」がズラリと奉納されています。 火伏鎮護の威徳を持つ秋葉総本山において、これほどふさわしい奉納の品は無いかもしれません。
山門まで戻って改めて境内にご挨拶ですが、そうそう、「おさすり大黒様」を忘れてました。 一さすりで福を招き 、二さすりで徳を授かり 、三さすりで満足を戴く・・どれほどの数の手が行き来したのか・・お腹のあたりはピカピカのスベスベ(*^^*)
2011年9月21日、台風15号は強い勢力を持ち浜松付近に上陸し、袋井市内でも猛威を振るいました。 可睡齋では、白山権現堂の堂宇が倒木で全壊したのをはじめ、全山での倒木は78本にも及びました。11月の参拝の際に見かけた、伐採された木々の真新しい切り口・・今も痛々しく思い出されます。
そんな事情があって立ち入る事ができなかった「白山堂」、2016年に改めて参拝。【永平寺開祖道元禅師が宋の天童如浄禅師につて開悟され帰朝される前夜、碧巌録を筆写していると、白山妙理大権現が現れ助勢された(一夜碧巌)禅師はその奇瑞を歓び帰朝後終生白山妙理大権現を祀られた。】案内版より
「白山堂」の奥、水行池から放生池を経て水が流れる水路のほとりにある「弁天堂」。 祀られる『弁財天』は招福の神として、また水の女神として信仰され、七福神の女神としても有名です。
『秀甫(しゅうほ)』・皇紀二千六百年立春・八十翁。【日の本は 神代ながらの 山さくら】、静岡県森町文化財の句碑が何故ここにあるのかは謎。
門前町に向かう一画には「東陽軒」と呼ばれる地蔵堂があり、二体の観音様が奉納されています。
『恕仲天誾禅師』が座禅中に、毘沙門天のお告げに従い、久野城外の松樹下の大通庵のそばにお堂を建てたのが、可睡斎始まりの地「東陽軒で」す。 今の東陽軒は1985年に観音堂を移築した堂宇になります。
「東陽軒」の屋根の上から私たちを見下ろしているのは『恕仲天誾(じょちゅう てんぎん)禅師』でしょうか? 一般的な仙人や神仏とはちょっと一線を画した風体、改めて見ると、確かなモデルの存在を感じさせます。
2011年、2016年と清清しい姿で私たちを出迎えてくれた可睡斎総門・・ところがそれから二年後・・・
2018年10月1日、台風24号により可睡斎の総門が全壊・・そのニュース画像に唖然としました。 この時の台風では、突発的な竜巻の通り道となった我が家も、かなり大きな被害を受けました。それでもまさかあの総門が・・
平成以降の、飽く事を知らぬ災害の多さ・・只々、国の安らかなる事を祈るばかりです。
参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日
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無残な総門のニュース画像で締めくくった可睡斎のブログですが、2019年11月、曹洞宗の名刹、総持寺の総門を参考に2019年11月末に再建されたと聞きました。小さな縁ですが、それでも見知った場所の朗報は嬉しいニュースです。
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